2025年8月5日火曜日

読書

 高校生の孫がいる。先日「おじいちゃん、夏目漱石の『こゝろ』持ってる?」と聞かれたので「勿論あるよ」と答え、貸してやった時は嬉しかった。高校の夏休みの宿題なのだろう。以前に同じ孫から小川洋子の「博士の愛した数式」があったら貸してくれ、と言われた時は持ち合わせがなくて残念だった。

読み終わって感銘を受け特に印象に残った本は本棚の目立つ場所に並べて、いつか子供達が手に取ってくれたら良いなあと長年思って来たが、悲しく寂しい事にあまり興味を持ってくれなかった。漫画は良く読むから横山光輝の「史記」とか手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」などに眼を向けてくれても良さそうなものだと思うのだが、時代が違うと興味の向きも異なるのだろうか。

そう言えば、ちばてつやの「キャプテン」や「プレイボール」は貪るように読んでくれたのに。ちばてつやの次は矢張手塚治虫ではなく「スラムダンク」が来るのが自然か。一時息子が東野圭吾に凝っていた時も、結城昌治の「ゴメスの名はゴメス」とか井沢元彦の「暗鬼」にどうして手を伸ばしてくれないかといらついたものだ。

嗜好性や考え方・感じ方というものは人によって千差万別で自分が面白いと思ったからといって他の人にもそうかというと全くそんな事はない。浄土真宗への信心の深い友人がいたので、彼に倉田百三の「出家とその弟子」を薦めたがあまり心に届かなかったようだ。私は中学生の頃初めて読んで感動した部分を手書きでノートに書き写したりした。以来、最低でも三度は読み直した程なのだが。

さて、「こゝろ」を読み終わって、どんな感想を持つか楽しみだ。感想を聞き終わったら鯨統一郎の「文豪たちの怪しい宴」を渡して、こんな読み方もあるよと紹介してやろうと思う。