2026年1月27日火曜日

異文化

 今回は少し気分を変えて頭の体操を。

生れ育った環境や文化が違うと、思いも寄らぬ疑問を持つものらしい。外国人から聞かれた質問に、皆様も頭を悩ませて頭の体操をしてみて欲しい。

私はアメリカに住んでいる頃「日本語を教えてあげるから友達になろうよ」と言ってなった友達から受けた質問に愕然とした。「カタカナの『ソ』と『ン』の見分け方を教えてくれ」と「小さい『っ』の意味を教えてくれ」である。皆様ならどう答えるだろうか。「なしてそぎゃん事が分からんかい!」と突っぱねてしまっては異文化交流が出来ない。

先日会社のOBと飲んでいたら、ある先輩が仕事の関係でエジプト人を連れて国内を案内している時「日本には川が何本ありますか」と聞かれたそうだ。さあ、これは難問だ。そもそも川の1本とは何だろう。渡良瀬川とか千曲川とか立派な名前を持っているがいずれ利根川や信濃川に合流し、一本の川となって海に注ぐものがある。森の中の木の本数を数える時には、大地から頭を出している幹の本数を数えるのであって、枝までは数えない。だから川の本数とは海もしくは湖に注ぐ河口の数である、と定義して良さそうだ。

そう思ってエジプトの地図を見ると、スエズ運河を除くと海に注ぐ河口は二つしかない。しかもそれはナイル川が途中で別れたものだ。成程このような環境で育った人なら川の本数を数えてみようという気になるものなのか。日本はどうかと言えば、宍道湖に注ぐ河口だけで27個もあった。これに日本海側のものを想定して、それに県の数を掛けてとすれば概算は出るのだろうが、その数に意味があるとも思えない。

価値観を越えて交流する事は屹度互いの幸福につながる。外国人排斥の動きが目立つ昨今だが、私は互いに寛容を忘れないようにしたいのだ。

2026年1月20日火曜日

国際法

 「世界は弱肉強食、万国公法(国際法)も大国に利あらば守られるが、大国に不利となれば武力に頼られる。私はこの状態に憤慨し、国力を強くし、大国と対等に外交しようと考えた。」

この言葉は誰のものでしょう。答えはドイツの鉄血宰相ビスマルク。1872年明治の遣欧使節団を前に演説した時のものだそうだ。当時ドイツは普仏戦争に勝利し、ようやく国内を統一した頃だ。これを聞いた岩倉や大久保は富国強兵の重要性を痛感し、西郷の征韓論は時期尚早だと大反対する事になる。

あれから150年以上の時が流れ、何度かの大戦争を経て、人間もいくらか賢くなって法の支配の重要性とかを身に沁みて思うようになったかと思っていたが、実態は何も変わっていないらしい。アメリカの大統領は「国際法なんてクソ食らえ」と公言して憚らないし、アメリカの経済制裁による物価高と外国からの干渉に苦しむイランは「直接的・間接的ないかなる攻撃にも断固とした相応の合法的対応をとる。すべての結果に対する責任は非合法的な行為を主導した者にある。外部勢力につながるテロリストが流入したことで平和的なデモが暴動に変わった。」となんとか法にすがり付こうとする。

麻薬を巡る動きにしても、アメリカはベネズエラ近郊まで出掛けて行って麻薬船と思われる小舟を攻撃し、乗組員共々海の藻屑にして威張っているが、あの船はベネズエラを出たばかりで行き先がアメリカと決まった訳ではないのではないか。150年以上前、イギリスが持ち込む麻薬(アヘン)に苦しんだ中国(当時は清)は、麻薬が自国の港に陸揚げされる瞬間を捕らえて、それを没収し廃棄した。どちらが理に適った行動か。実際には理に適った行動を取った筈の側が、戦争に負け、賠償金まで払わされている。

ああ、国際法よ。

2026年1月13日火曜日

人類滅亡

この世界は一体どうなるのだろう?

道理に合わない事でも、力のある者が声高に怒鳴ればそれがまかり通ってしまう。アメリカのミネソタ州では一般女性が移民税関捜査局の職員に射殺され、それが正当防衛だとされた。放映された動画を見る限り、女性が殺されてもおかしくない程の乱暴をしたようには全く見えないし、地方政府は中央政府と異なる見解を持っているが、大統領府も副大統領も臆面もなく正当防衛を主張する。

他国への内政干渉は国際政治においてご法度の筈なのに、他国の軍隊が堂々と領空を侵犯し、あろうことかその国の大統領を拉致・監禁してしまう。しかもそれを堂々と批判するのはロシア・中国と言ったこちらも力の信奉者と思われる国だけだ。アメリカは他国の政府を転覆させる事を屁とも思っていないらしく、1953年のイランのクーデター、1973年のチリのクーデターなどCIAの関与が公然と語られている。当時の岸首相退陣の原因となった60年安保のデモもアメリカの画策によるとの説もあるし、田中角栄のロッキード疑惑がアメリカの原作・演出のよるものであるのは明らかだ。

今またイランでは物価高に起因する民衆のデモが各地で起きている。裏でCIAが動いていないとも限らない。1953年を再現しようと言うのだろうか。パーレビ元国王の子孫が亡命先から新政権に意欲を示していると言うから笑ってしまう。

結局一定以上の武力を持たない限り、大国の言いなりになるしかないと言う事か。北朝鮮が核武装を急いだ気持ちが分かるような気がする。こうやって色んな国が核武装を目指し、果てはどこかのテロ集団までもが核を手にし、いつか世界中を巻き込んだ核戦争が起きるのではないか。

ある学者は2045年を人類滅亡の年と予測する。もし生きていたらその時私は93歳、人類滅亡の生き証人になるのだろうか。 

2026年1月6日火曜日

電子ピアノ

 あけましておめでとうございます。本年も当新聞当コラムをご愛顧頂きますようお願い申し上げます。

ところで、年末個人的にちょっとした課題解決に迫られた。約20年間愛用してきた電子ピアノの調子が悪くなり、買い替えの必要に迫られたのだ。

早速家電量販店を回ってカタログを集め、価格を比較し、実際に試弾して音や感触を確かめる。電子ピアノの一番の肝はなんといってもそのタッチで、鍵盤を押した時の感触が如何に本物のピアノと似ているかにあると思うが、最近の機種はどれも良く出来ていて、なかなか甲乙付けがたい。音も素人の耳には違いが殆ど分からない。それでいて、値段は安いのだと10万円を切るものもあるし、50万円以上のものもある。

困ってしまうのはカタログを見ても違いが分からない事だ。デジカメなら画素数であったり、撮像素子の大きさだったり、レンズの明るさだったり、値段の違いが合理的に判断できるが、電子ピアノはどれも良い事しか書いてない。これでは高い機種を買う理由がないではないか。値段の安い機種については「こういう難点がありますが、それが気にならない方にはお買い得です」等、その欠点も明記すべきではないか。

同じ事を国家予算についても思う。こういう所に重点配分しました、と予算が増えた項目は大いに語られるが、一方去年と比べて削った部分については何も語られない。そうしたマイナス面もはっきりさせて初めて政権の本気度が分かろうというものだ。

因みに機種選定の決め手になったのは椅子が付属していないという点だった。あるメーカーのその機種だけ椅子は別売りになります、という。既に椅子はあり、新たに来ても邪魔になるだけだ。ならば最初からない方が良いと、ピアノには大変失礼な判断になってしまった。

2025年12月23日火曜日

この一年

 国際的にはトランプ米大統領に掻きまわされた年、国内では日経平均株価が5万円を突破した年、個人的にはウィンブルドンのセンターコートで開幕戦を観た年、今年も様々な出会いがあった。例によって映画や本の世界での出会いを記す。

映画ではロンドンへ行く飛行機の中で観た「Touch」というアイスランドの映画が印象に残った。本木雅弘をはじめとする配役や被爆者の悲しみを描くというテーマから、てっきり日本映画だと思っていた。

その他、旧作の映画の中では「ペイ・フォワード」「カラー・パープル(2023年)」「天と地」が良かった。「カラー・パープル」は1985年のスティーヴン・スピルバーグ監督版よりもはるかに良かった。「天と地」ではベトナム戦争の悲劇が描かれる。あの戦争での米兵の苦悩はある意味自業自得とも言えるが、罪のない現地の少女が如何に過酷な運命に翻弄されたか、涙なしには観られない。

本は松岡正剛、川口マーン恵美、永井路子の各氏に魅せられて複数冊読んだ。その他印象に残ったのが「植物は<知性>をもっている」だった。植物の巧妙な生存戦略を学ぶ事は人間の高慢な思い上がりを反省するきっかけにもなる。

きな臭いコメントが飛び交う昨今、最後に「さよなら サイレント・ネイビー」という本に紹介されていたナチスのNO2だったヘルマン・ゲーリングの言葉を書き留めておきたい。政権中枢にいる人達にありがちな「戦争がしてみたい」という欲望に抗うためにも。

「人間集団を攻撃的にするのはいとも簡単である。自分たちが攻撃されている、と思わせれば良いのだ。そうすれば、どんな集団でもただちに攻撃的になる。」

年末年始の掲載予定ですが、30日はお休みし、年明け6日から再開します。皆様良い年をお迎え下さい。

2025年12月16日火曜日

定数減

定数減そんなことより物価高


新聞の投稿欄にこんな川柳が載っていた。なかなか良く出来ている。議員定数の削減と物価高対策、今の国会で取り上げられている二つのテーマを、高市首相の迷答弁「そんなことより」で結んだ。

確かに庶民感覚から言えば、議員の数が若干減ってもそれによる国庫支出の減は僅かだから、それよりは目先の物価高を何とかして欲しい。その物価高対策と言われる政策も、物価を下げる事を目的とするというより家計の支出を補助するためのバラマキで、それが円安を招き、結果更なる物価高につながりそうで甚だ心もとない。

定数削減は何人かの議員が確実に議席を失う訳だから、身を切る事である事は間違いないが、果たしてそれは本当に国民の幸福につながるのだろうか。強いてそのシナリオを考えると、定数が減って競争が激しくなり、議員候補が切磋琢磨し、選挙民の声を良く聞き、政策を勉強し、かくして国会が良くなりましたとさ、となれば良いが。そのためには国民の側もそれなりに立派じゃないといけない訳で、実際にはより特権化した地位に向け票を巡ってよりカネが幅を効かすような事態になりはしないか心配だ。

そもそも議員は選挙民の声を代表する立場にあり、国民からすれば自分等の代表を国会に送るのはある種の権利であると言っても良い。それを削減するのは別の見方をすれば国民の権利を奪う事になりはしないか。参議院では合区と言って、県の代表を送る事すら既に出来なくなっている。

国際機関での表決を見ると、どんな小さな国でも平等に一票が与えられていて、議論の最中には議場にいなかったような国が、議決の時だけやってきて票を投じるような事があるらしい。それもどうかと思うが、間接民主制において代表の在り方はもっと慎重に考えるべきだと思う。

2025年12月9日火曜日

米価

 今朝の新聞に、また米価が最高値を更新したとの記事が載っていた。5㎏で4,335円。これでも農林水産大臣は高くないと仰るが、同じ日のスーパーの折り込みチラシではミカン一箱2.5㎏が1,280円で売られていた。手元にあった富有柿を測ったら200g、確かこれは100円前後で買った筈だから5㎏換算すると2,500円になる。ミカンや柿などの嗜好品より主食のコメの方が高いのはどこかおかしくないか。もし水の値段が酒より高くなったらどうする?!

米価対策を問われて、件の農水大臣は「米価は市場が決めるもの。政府は介入しません。もし洋服の値段が高くなったら政府が介入しますか」と答えたと言うが、この人は全く経済が分かっていない。

コメと服は比べるのも愚かなくらい性格が違う。第一に服は生産も流通も完全に自由な環境で取引が行われているが、コメはそうではない。海外との取引も制限されているし、服が出来過ぎると困るから、反物を作るのを制限しようと減反政策を政府が打ち出したりもしないではないか。

そもそも米価をある程度高く維持したいのは、末端のコメ農家を守るため、ひいては日本の食糧安全保障のため、農業を守る事に主眼があるのではないのか。その事を考えるなら、米価の維持のためコメの減産を目指すのは全くのお門違いというべきだ。これから米作に取り組み、日本の農業を支えて行こうという若者が、先細りの業界に魅力を感じる筈がない。どんどん増産して、より品質の高い製品をより手頃な価格で提供して、日本国内のみならず世界の市場に打って出るような、そんな業界にしなくてはならない筈。

日本のコメを中国の富裕層にも売るべく、トップセールスでもする覚悟で増産を指導するのが農水大臣の務めだと思う。それが出来ないなら早々に大臣を交代して欲しい。