今回は少し気分を変えて頭の体操を。
生れ育った環境や文化が違うと、思いも寄らぬ疑問を持つものらしい。外国人から聞かれた質問に、皆様も頭を悩ませて頭の体操をしてみて欲しい。
私はアメリカに住んでいる頃「日本語を教えてあげるから友達になろうよ」と言ってなった友達から受けた質問に愕然とした。「カタカナの『ソ』と『ン』の見分け方を教えてくれ」と「小さい『っ』の意味を教えてくれ」である。皆様ならどう答えるだろうか。「なしてそぎゃん事が分からんかい!」と突っぱねてしまっては異文化交流が出来ない。
先日会社のOBと飲んでいたら、ある先輩が仕事の関係でエジプト人を連れて国内を案内している時「日本には川が何本ありますか」と聞かれたそうだ。さあ、これは難問だ。そもそも川の1本とは何だろう。渡良瀬川とか千曲川とか立派な名前を持っているがいずれ利根川や信濃川に合流し、一本の川となって海に注ぐものがある。森の中の木の本数を数える時には、大地から頭を出している幹の本数を数えるのであって、枝までは数えない。だから川の本数とは海もしくは湖に注ぐ河口の数である、と定義して良さそうだ。
そう思ってエジプトの地図を見ると、スエズ運河を除くと海に注ぐ河口は二つしかない。しかもそれはナイル川が途中で別れたものだ。成程このような環境で育った人なら川の本数を数えてみようという気になるものなのか。日本はどうかと言えば、宍道湖に注ぐ河口だけで27個もあった。これに日本海側のものを想定して、それに県の数を掛けてとすれば概算は出るのだろうが、その数に意味があるとも思えない。
価値観を越えて交流する事は屹度互いの幸福につながる。外国人排斥の動きが目立つ昨今だが、私は互いに寛容を忘れないようにしたいのだ。