2026年3月3日火曜日

行政権

 ヤクザ映画で実力のないチンピラが何かと言うと振り回すドスのように、トランプ大統領が何かと言うと振り回す関税。丁度一年前の225日のこのコラム(905)で「関税について詳しくは知らないのだが、トランプ大統領が勝手に決めているように行政の専権事項として設定の出来るものなのだろうか。」と疑問を呈したが、今頃になってようやくアメリカの最高位裁判所はトランプ関税が違法であるとの判決を出した。

学校で習ったのは、民主主義の基本は三権分立で、中でも最高の意思決定機関は国民の代表である国会・立法権であるという事だった。大統領や首相がトップを務める行政権は立法府が定めたルールの範囲内で、自らの判断で実際の政治を執り行う。そこには一定の裁量の余地があるとは言え、国会で決められたルールを逸脱してはいけないし、何か重要な事を行う場合には国会の了解を取らないといけない。

そこで思うのは、アメリカがベネズエラに侵攻したのは国会の承認が得られていたのだろうか、という疑問である。そんな事をしていたら相手に感づかれて、せっかくの計画が台無しになってしまうから、恐らくはしてないのだろう。それは違法ではないのか?

どこの国でも戦争を始める時は国会の承認が必要な筈だ。日本人を初め黄色人種が大嫌いだったルーズベルト大統領は、日本をやっつけたくて仕方なかったが、国会の承認が得られないため日本に戦争を仕掛ける事が出来なかった。だから真珠湾攻撃が行われた時は「やっとこれで(議会の承認が得られ)参戦できる」と大喜びしたという話がある。

このように国会の承認なしに他国に軍隊を差し向ける事は出来ない筈なのに、イランでもトランプ大統領は軍事攻撃をちらつかせ、ついに始めてしまった。アメリカ国民は何故黙っているのだろう。

2026年2月24日火曜日

音の識別

 りくりゅうペアの逆転での金メダルには心から拍手を送った。日頃の鍛錬からくる自信とそれでも天狗にならない謙虚さとの相乗効果がもたらした成果と推察する。

この競技の中でスロー・ジャンプという技があるのを知った。音を聴いた瞬間slowと早とちりして、あの眼にも止まらぬ速さで何回転したかも分からぬジャンプをゆっくりやるなんて凄い事が本当に出来るか半信半疑だったが、throwだと知って納得した。日本人にとって苦手なsとth、lとrの二種類も紛らわしい音があるから仕方ないか。

所でフランス人は「い」と「ひ」と「き」の区別が出来ない事を御存知か。あるフランス人に荒城の月の歌詞を教えた時の事だ。「春高楼の花の宴」とゆっくり発音すると、彼のメモは「Alukolono Ananoen」だった。フランス人にはhの音が聞こえないから仕方ないが「昔の光今いずこ」が「Mukasino Ikali」となるに及んで「光」が「怒り」になってはいかんだろうと、「『い』じゃなくて『ひ』だよ」と殊更「ひ」を強調すると、彼は「分かった分かった」というような顔をして「Kikali」と書き直した。

音を識別する脳の仕組みは子供の頃に作られ、大人になって修正するのは至難の技らしい。朝鮮語の二つの「か」の識別はsとth以上に難しかった。一つは普通の「ka」、もう一つは「kka」とでも表記すべきか(実際ハングルではそのような表記になっている)これが何度聞いても同じに聞こえる。韓国人同志だと当然ながら百発百中で区別する。彼等にはむしろ普通の「ka」は「ga」との区別がつかないみたいだから不思議だ。「ぷ」にも「pu」と「ppu」があるが釜山(プサン)の英語表記は「busan」なのだから。

2026年2月17日火曜日

小選挙区制

 小沢一郎さんは今どんな思いでいらっしゃるのだろう。

二大政党制を目指して、小選挙区制導入という選挙制度改革は彼の悲願だったはずだ。そして彼の願い通り小選挙区制が取り入れられたが、二大政党制になるどころか、政界はどんどん一強多弱の傾向を強めて行く。小選挙区制は、ほんのわずかでも他より強い政党に圧倒的に有利な制度で、本当にこの制度の導入は良い事だったのだろうか。

今回の選挙で自民党は小選挙区で289議席中269議席、つまり86%の議席を取ったが、小選挙区で自民党に投じられた票は率にして49%と半数に満たない。逆に小選挙区で21%の票を取った中道改革連合の議席数は7議席つまり2%程度にしかならなかった。

小選挙区にすればこうした偏りが出る事は百も承知だったであろう。2009年の選挙では民主党が僅かの差で小選挙区の議席を席巻した。米英の例を見ても、比較第一党と第二党の差が拮抗していれば小選挙区制も適切に機能するのだろうが、その差が一定以上開いていると民意を反映しない制度になってしまうのではないか。今後議員定数の削減に伴い比例区の数が減ると一層その傾向が強くなる。

2009年、民主党政権が生まれ、二大政党制に一歩近づいたかと思った時にどうして小沢さんはそれを育てるために一所懸命にならなかったのだろう。私の印象では当時党首の鳩山さんが慣れない政権運営で右往左往するのに、幹事長だった海千山千の小沢さんは知らん顔をしているように見えた。あの時もっとしっかり縁の下を支えていれば彼の夢が実現したのではないかと思うのに。今回落選して、彼は昔日の夢をどう振り返っているのだろうか。

(来週は火曜日が休刊日となるため、25日(水)の掲載となります。よろしくお願いします。)

2026年2月10日火曜日

右か左か

 この原稿を書いている時点では大手メディアが自民党の圧勝を予想している今回の総選挙だが、原稿が掲載される頃には結果が判明してる事だろう。

高市首相の右寄りの姿勢が支持され、右寄りの主張を繰り返す参政党の躍進も予測されて、日本全体の右傾化傾向が指摘される。かつて左翼の代表と言えば社会党や共産党だったが、そのいずれもが大苦戦している。各政党の獲得予想議席の分布図を見ると、日本から左はいなくなってしまうのだろうか、と思われるような勢力分布だ。その是非はともかく、右とか左とか一体何かについて考えてみたい。

一般的イメージでは右は保守、左は革新、右は資本主義、左は社会主義、右は政権側、左は野党側、というような感じだろうか。その流れで行くと、中国では共産党が政権を取っていて、その体制を守ろうと保守的行動を取り、改革を目指す若者を取締ったりしているのを見ると、そこでは共産党が右翼だか左翼だか良く分からなくなってしまう。

歴史的にはフランス革命当時の国民議会で議長席から見て右側に伝統や宗教を重んじ急進的な改革に反対する集団が座り、左側に平等や自由を重んじ急進的改革を支持する集団が座った事から来ているそうだ。しかし、今まで出会った解釈の中で一番分かり易いと私が思うのは以下の区分である。

世の中を縦に割って、内側と外側に分けた時、内側の価値を守ろうとするのが右翼、世の中を横に割って、富裕層と貧困層に分けた時、貧困層の味方をするのが左翼だ、というのである。この考え方だと右翼と左翼は対立概念ではなく、両者が必ずしも反対語にはならない。そして色んな事を旨く説明できるのだが、ただ普段右翼的な発言を繰り返す人達がアメリカに媚びを売る高市さんを高く評価する事が説明できない。

2026年2月3日火曜日

異文化(続き)

「ソ」と「ン」の見分け方など考えた事もなかったので、その質問を受けた時は大変狼狽した。「シ」と「ツ」なら3本の線の頭が揃っているのが左か上かで判断できる。稀に第二画まで「ツ」のように書きながら、最後の第三画を下から跳ね上げて「シ」を書いた積りの人を見るが、あれは大変恥ずかしい事だ。小学校では「ソ」は第二画を上から書下ろし、「ン」は下から跳ね上げる、という教え方をするらしい。しかし活字特にゴシック体などではその区別は難しい。結局、どちらかといえば「リ」近いのが「ソ」で「ニ」に近いのが「ン」だ、最後は周りの雰囲気で判断するしかない、と答えるしかなかった。ある所で戦前の看板の写真を見て、そこに書かれている文字を最初は「ソバ」と読んだ。しかし他の文字が全て右から書かれているのを見て実はそれが「パン」であると知った。

「っ」に関して小学校では「詰まった感じを出す」という教え方をするらしい。日本の子供ならそれで理解できるだろうが、外国人に「詰まった感じ」と言っても恐らくチンプンカンプンであろう。私は相手がドイツ人だった事もあって「ich」を例に「イッヒ」と「イヒ」の違いだよ、と説明したが彼はポカンとしたままだった。恐らく両者の違いが聞き分けられないのだろう。「ヒットラー」と「ヒトラー」が同じに聞こえるように。

日本の小学生で「ソ」と「ン」の違いに悩んだり、「っ」の意味が分からなくて落ちこぼれた子がいるなんて聞いた事がない。それ程当り前の事が、異文化で育った外国人だと人並み以上の知性を持った人が理解に苦しんでいる。当然逆の事もあって彼等に当り前の事を我々が理解しないのを歯がゆく思っている事もあるだろう。

そういう理解の溝を不愉快に思うのか、寛容に受け入れ楽しむか、私は後者でいたいのだ。


2026年1月27日火曜日

異文化

 今回は少し気分を変えて頭の体操を。

生れ育った環境や文化が違うと、思いも寄らぬ疑問を持つものらしい。外国人から聞かれた質問に、皆様も頭を悩ませて頭の体操をしてみて欲しい。

私はアメリカに住んでいる頃「日本語を教えてあげるから友達になろうよ」と言ってなった友達から受けた質問に愕然とした。「カタカナの『ソ』と『ン』の見分け方を教えてくれ」と「小さい『っ』の意味を教えてくれ」である。皆様ならどう答えるだろうか。「なしてそぎゃん事が分からんかい!」と突っぱねてしまっては異文化交流が出来ない。

先日会社のOBと飲んでいたら、ある先輩が仕事の関係でエジプト人を連れて国内を案内している時「日本には川が何本ありますか」と聞かれたそうだ。さあ、これは難問だ。そもそも川の1本とは何だろう。渡良瀬川とか千曲川とか立派な名前を持っているがいずれ利根川や信濃川に合流し、一本の川となって海に注ぐものがある。森の中の木の本数を数える時には、大地から頭を出している幹の本数を数えるのであって、枝までは数えない。だから川の本数とは海もしくは湖に注ぐ河口の数である、と定義して良さそうだ。

そう思ってエジプトの地図を見ると、スエズ運河を除くと海に注ぐ河口は二つしかない。しかもそれはナイル川が途中で別れたものだ。成程このような環境で育った人なら川の本数を数えてみようという気になるものなのか。日本はどうかと言えば、宍道湖に注ぐ河口だけで27個もあった。これに日本海側のものを想定して、それに県の数を掛けてとすれば概算は出るのだろうが、その数に意味があるとも思えない。

価値観を越えて交流する事は屹度互いの幸福につながる。外国人排斥の動きが目立つ昨今だが、私は互いに寛容を忘れないようにしたいのだ。

2026年1月20日火曜日

国際法

 「世界は弱肉強食、万国公法(国際法)も大国に利あらば守られるが、大国に不利となれば武力に頼られる。私はこの状態に憤慨し、国力を強くし、大国と対等に外交しようと考えた。」

この言葉は誰のものでしょう。答えはドイツの鉄血宰相ビスマルク。1872年明治の遣欧使節団を前に演説した時のものだそうだ。当時ドイツは普仏戦争に勝利し、ようやく国内を統一した頃だ。これを聞いた岩倉や大久保は富国強兵の重要性を痛感し、西郷の征韓論は時期尚早だと大反対する事になる。

あれから150年以上の時が流れ、何度かの大戦争を経て、人間もいくらか賢くなって法の支配の重要性とかを身に沁みて思うようになったかと思っていたが、実態は何も変わっていないらしい。アメリカの大統領は「国際法なんてクソ食らえ」と公言して憚らないし、アメリカの経済制裁による物価高と外国からの干渉に苦しむイランは「直接的・間接的ないかなる攻撃にも断固とした相応の合法的対応をとる。すべての結果に対する責任は非合法的な行為を主導した者にある。外部勢力につながるテロリストが流入したことで平和的なデモが暴動に変わった。」となんとか法にすがり付こうとする。

麻薬を巡る動きにしても、アメリカはベネズエラ近郊まで出掛けて行って麻薬船と思われる小舟を攻撃し、乗組員共々海の藻屑にして威張っているが、あの船はベネズエラを出たばかりで行き先がアメリカと決まった訳ではないのではないか。150年以上前、イギリスが持ち込む麻薬(アヘン)に苦しんだ中国(当時は清)は、麻薬が自国の港に陸揚げされる瞬間を捕らえて、それを没収し廃棄した。どちらが理に適った行動か。実際には理に適った行動を取った筈の側が、戦争に負け、賠償金まで払わされている。

ああ、国際法よ。