2026年3月17日火曜日

アメリカ

 トランプを大統領に選んだ頃からアメリカがちょっとおかしいのではないだろうか。トランプ個人の問題は別にしても、周りの人達が全て彼のイエスマンに成り下がり、彼に意見・諫言する人がいないのはおかしい。国務長官のマルコ・ルビオなど、かつてトランプと共和党の大統領候補の座を争ったのだから、彼なりの考えや主張があって然るべきだと思うのだが、彼が世界各地を飛び回っている姿はまるでトランプのメッセンジャー・ボーイになってしまったかのようだ。

トランプが既にある駅や空港の名前を自分の名前に変えろ、と言っても誰も表立って反対しないし、今回のイラン侵攻にしても誰も反対する人はいなかったのだろうか。

そのイランではAIが標的の識別などに利用されているらしい。AIの利用を巡っても、耳を疑うような事態が起きている。それは一民間企業と国家の倫理が逆転しているように思えるからだ。

普通なら民間企業が利益追求のあまり、倫理に抵触しそうな行動を取るのに対して、国家がより高い倫理的観点からその行動を制限するのが当り前だと思うのだが、今アメリカでは全く逆の事が起きている。

アメリカの国防総省がAI開発企業各社対してに全ての技術を利用させろと求めたのに対して、唯一アンソロピック社は「国民の監視目的には利用しない、人間が介在しない完全自律型兵器には利用しない」という条件を付けたというのだ。同社は「良心に従えば(国防総省の)要求を受け入れる事はできない」と宣言し、トランプの怒りを買い、同国政府との取引を禁止された。

国からの要求に屈したオープンAIからユーザーが離れたのに対し、アンソロピック社のAIツールは逆に利用者が増えているらしい。アメリカの草莽には良心が残っていそうなのがせめてもの救いだ。

 

2026年3月10日火曜日

AIの力

桜花爛漫時(おうか爛漫

背負小学包(小学背負い

自覚身軀長(自ら覚る身軀の長ぜるを

相凌較短長(相凌ぎて短長を較らぶ

桜の花が、いままさに咲き誇る時

ランドセルを背負って 

自分の背が伸びたことを感じる

友達と背の高さを比べ合っている

 

もうすぐこんな季節になる。杜甫や李白の頃にランドセルがあったかどうか知らないが。

つい最近「出雲弁ソング」なるものの存在を知った。。友人からの紹介で知った「あいけ!出雲シャンゼリゼ通り」という歌には驚いた。ギターやアコーディオンが奏でる軽快なシャンソンのリズムに乗せて、出雲で良くあるご婦人方の茶飲み話の様子が歌われる。背景の写真は、遠く凱旋門を望む通りのカフェでフランス人のご高齢の二人のご婦人がコーヒーと会話を楽しむ様子で、歌詞とのギャップが笑いを誘う。

ただ、その歌詞を良く聞くと、語彙は確かに出雲弁だが、発音に出雲弁独特の訛りがない。それもその筈、なんと歌っているのはAIだ、というのだ。しかも曲を作ったのもAIだとの事で、AIにこの曲を作らせたのは出雲在住の高橋章さんという方だ。その高橋さんについ最近、直江の居酒屋でバッタリお会いした。「出雲弁ソング」を知ってから十日も経たないでの邂逅、何か運命的なものを感じてしまった。

実はそのちょっと前、AIはここまでやるか、という事例を知って驚いた事がある。AIを教育に活かせないかを考えているある学者の紹介した例で、「小学生レベルの、春と桜を読む俳句を出力しAIに命じたら

「さくらさく ランドセルしょって せいくらべ」

という句を返したのだそうだ。それで驚いてはいけない。それを英語に直したり、極めつけが冒頭に示した五言絶句の漢詩でこれも実はそのAIが作ったものなのだ。AIの力恐るべし。

2026年3月3日火曜日

行政権

 ヤクザ映画で実力のないチンピラが何かと言うと振り回すドスのように、トランプ大統領が何かと言うと振り回す関税。丁度一年前の225日のこのコラム(905)で「関税について詳しくは知らないのだが、トランプ大統領が勝手に決めているように行政の専権事項として設定の出来るものなのだろうか。」と疑問を呈したが、今頃になってようやくアメリカの最高位裁判所はトランプ関税が違法であるとの判決を出した。

学校で習ったのは、民主主義の基本は三権分立で、中でも最高の意思決定機関は国民の代表である国会・立法権であるという事だった。大統領や首相がトップを務める行政権は立法府が定めたルールの範囲内で、自らの判断で実際の政治を執り行う。そこには一定の裁量の余地があるとは言え、国会で決められたルールを逸脱してはいけないし、何か重要な事を行う場合には国会の了解を取らないといけない。

そこで思うのは、アメリカがベネズエラに侵攻したのは国会の承認が得られていたのだろうか、という疑問である。そんな事をしていたら相手に感づかれて、せっかくの計画が台無しになってしまうから、恐らくはしてないのだろう。それは違法ではないのか?

どこの国でも戦争を始める時は国会の承認が必要な筈だ。日本人を初め黄色人種が大嫌いだったルーズベルト大統領は、日本をやっつけたくて仕方なかったが、国会の承認が得られないため日本に戦争を仕掛ける事が出来なかった。だから真珠湾攻撃が行われた時は「やっとこれで(議会の承認が得られ)参戦できる」と大喜びしたという話がある。

このように国会の承認なしに他国に軍隊を差し向ける事は出来ない筈なのに、イランでもトランプ大統領は軍事攻撃をちらつかせ、ついに始めてしまった。アメリカ国民は何故黙っているのだろう。

2026年2月24日火曜日

音の識別

 りくりゅうペアの逆転での金メダルには心から拍手を送った。日頃の鍛錬からくる自信とそれでも天狗にならない謙虚さとの相乗効果がもたらした成果と推察する。

この競技の中でスロー・ジャンプという技があるのを知った。音を聴いた瞬間slowと早とちりして、あの眼にも止まらぬ速さで何回転したかも分からぬジャンプをゆっくりやるなんて凄い事が本当に出来るか半信半疑だったが、throwだと知って納得した。日本人にとって苦手なsとth、lとrの二種類も紛らわしい音があるから仕方ないか。

所でフランス人は「い」と「ひ」と「き」の区別が出来ない事を御存知か。あるフランス人に荒城の月の歌詞を教えた時の事だ。「春高楼の花の宴」とゆっくり発音すると、彼のメモは「Alukolono Ananoen」だった。フランス人にはhの音が聞こえないから仕方ないが「昔の光今いずこ」が「Mukasino Ikali」となるに及んで「光」が「怒り」になってはいかんだろうと、「『い』じゃなくて『ひ』だよ」と殊更「ひ」を強調すると、彼は「分かった分かった」というような顔をして「Kikali」と書き直した。

音を識別する脳の仕組みは子供の頃に作られ、大人になって修正するのは至難の技らしい。朝鮮語の二つの「か」の識別はsとth以上に難しかった。一つは普通の「ka」、もう一つは「kka」とでも表記すべきか(実際ハングルではそのような表記になっている)これが何度聞いても同じに聞こえる。韓国人同志だと当然ながら百発百中で区別する。彼等にはむしろ普通の「ka」は「ga」との区別がつかないみたいだから不思議だ。「ぷ」にも「pu」と「ppu」があるが釜山(プサン)の英語表記は「busan」なのだから。

2026年2月17日火曜日

小選挙区制

 小沢一郎さんは今どんな思いでいらっしゃるのだろう。

二大政党制を目指して、小選挙区制導入という選挙制度改革は彼の悲願だったはずだ。そして彼の願い通り小選挙区制が取り入れられたが、二大政党制になるどころか、政界はどんどん一強多弱の傾向を強めて行く。小選挙区制は、ほんのわずかでも他より強い政党に圧倒的に有利な制度で、本当にこの制度の導入は良い事だったのだろうか。

今回の選挙で自民党は小選挙区で289議席中269議席、つまり86%の議席を取ったが、小選挙区で自民党に投じられた票は率にして49%と半数に満たない。逆に小選挙区で21%の票を取った中道改革連合の議席数は7議席つまり2%程度にしかならなかった。

小選挙区にすればこうした偏りが出る事は百も承知だったであろう。2009年の選挙では民主党が僅かの差で小選挙区の議席を席巻した。米英の例を見ても、比較第一党と第二党の差が拮抗していれば小選挙区制も適切に機能するのだろうが、その差が一定以上開いていると民意を反映しない制度になってしまうのではないか。今後議員定数の削減に伴い比例区の数が減ると一層その傾向が強くなる。

2009年、民主党政権が生まれ、二大政党制に一歩近づいたかと思った時にどうして小沢さんはそれを育てるために一所懸命にならなかったのだろう。私の印象では当時党首の鳩山さんが慣れない政権運営で右往左往するのに、幹事長だった海千山千の小沢さんは知らん顔をしているように見えた。あの時もっとしっかり縁の下を支えていれば彼の夢が実現したのではないかと思うのに。今回落選して、彼は昔日の夢をどう振り返っているのだろうか。

(来週は火曜日が休刊日となるため、25日(水)の掲載となります。よろしくお願いします。)

2026年2月10日火曜日

右か左か

 この原稿を書いている時点では大手メディアが自民党の圧勝を予想している今回の総選挙だが、原稿が掲載される頃には結果が判明してる事だろう。

高市首相の右寄りの姿勢が支持され、右寄りの主張を繰り返す参政党の躍進も予測されて、日本全体の右傾化傾向が指摘される。かつて左翼の代表と言えば社会党や共産党だったが、そのいずれもが大苦戦している。各政党の獲得予想議席の分布図を見ると、日本から左はいなくなってしまうのだろうか、と思われるような勢力分布だ。その是非はともかく、右とか左とか一体何かについて考えてみたい。

一般的イメージでは右は保守、左は革新、右は資本主義、左は社会主義、右は政権側、左は野党側、というような感じだろうか。その流れで行くと、中国では共産党が政権を取っていて、その体制を守ろうと保守的行動を取り、改革を目指す若者を取締ったりしているのを見ると、そこでは共産党が右翼だか左翼だか良く分からなくなってしまう。

歴史的にはフランス革命当時の国民議会で議長席から見て右側に伝統や宗教を重んじ急進的な改革に反対する集団が座り、左側に平等や自由を重んじ急進的改革を支持する集団が座った事から来ているそうだ。しかし、今まで出会った解釈の中で一番分かり易いと私が思うのは以下の区分である。

世の中を縦に割って、内側と外側に分けた時、内側の価値を守ろうとするのが右翼、世の中を横に割って、富裕層と貧困層に分けた時、貧困層の味方をするのが左翼だ、というのである。この考え方だと右翼と左翼は対立概念ではなく、両者が必ずしも反対語にはならない。そして色んな事を旨く説明できるのだが、ただ普段右翼的な発言を繰り返す人達がアメリカに媚びを売る高市さんを高く評価する事が説明できない。

2026年2月3日火曜日

異文化(続き)

「ソ」と「ン」の見分け方など考えた事もなかったので、その質問を受けた時は大変狼狽した。「シ」と「ツ」なら3本の線の頭が揃っているのが左か上かで判断できる。稀に第二画まで「ツ」のように書きながら、最後の第三画を下から跳ね上げて「シ」を書いた積りの人を見るが、あれは大変恥ずかしい事だ。小学校では「ソ」は第二画を上から書下ろし、「ン」は下から跳ね上げる、という教え方をするらしい。しかし活字特にゴシック体などではその区別は難しい。結局、どちらかといえば「リ」近いのが「ソ」で「ニ」に近いのが「ン」だ、最後は周りの雰囲気で判断するしかない、と答えるしかなかった。ある所で戦前の看板の写真を見て、そこに書かれている文字を最初は「ソバ」と読んだ。しかし他の文字が全て右から書かれているのを見て実はそれが「パン」であると知った。

「っ」に関して小学校では「詰まった感じを出す」という教え方をするらしい。日本の子供ならそれで理解できるだろうが、外国人に「詰まった感じ」と言っても恐らくチンプンカンプンであろう。私は相手がドイツ人だった事もあって「ich」を例に「イッヒ」と「イヒ」の違いだよ、と説明したが彼はポカンとしたままだった。恐らく両者の違いが聞き分けられないのだろう。「ヒットラー」と「ヒトラー」が同じに聞こえるように。

日本の小学生で「ソ」と「ン」の違いに悩んだり、「っ」の意味が分からなくて落ちこぼれた子がいるなんて聞いた事がない。それ程当り前の事が、異文化で育った外国人だと人並み以上の知性を持った人が理解に苦しんでいる。当然逆の事もあって彼等に当り前の事を我々が理解しないのを歯がゆく思っている事もあるだろう。

そういう理解の溝を不愉快に思うのか、寛容に受け入れ楽しむか、私は後者でいたいのだ。