2026年5月26日火曜日

医療費

 「棺桶まで歩こう」(萬田緑平著)という本が売れているらしい。新聞の書評欄でそれを知り、早速市の図書館に予約を入れたら25人待ちの状態だった。仕方なく同じ著者の本を何冊か借りて読んでみた。「穏やかな死に医療はいらない」「家で死のう」「自宅で迎える本当に幸せな最期のとき」などである。

題名から推察されると思うが、著者は医師として数多くの末期ガンの患者を見送った経験から、治る見込みのない終末期の医療の在り方に疑問を感じ、患者や家族にとって本当の幸せは何かを考えて筆を執った。

令和5年度の国民医療費は総額が48915億円で一人当たりに換算すると年間386700円になるそうだ。これが75歳以上になると、一人当たり約95.3万円に昇るとか。一緒にテニスを楽しんでいる人の中には75歳以上の人も沢山いるが、皆さん元気で年間の医療費を10万円も使っているような人は見当たらない。その事を考えると、極く一部の人にべら棒な金額の医療費が使われていると考えざるを得ない。それが当人の幸せのために使われているのなら納得するが果たしてどうか。1秒でも長く心臓を動かし続けるためだけに、本人の苦痛は二の次にして体中に管を付けるような医療が本当にあるべき姿なのか。

著者は「治療の効果よりも治療の苦痛の方が上回ったら、その時が治療をやめて自宅に戻るチャンス」だと言う。家族と共に最期の時を楽しみ、かみしめるべきだと。和田秀樹著「80歳の壁」には「ガンは治療さえしなければ、最後の23か月以外は、いろいろな事ができます。」とあった。決してミスプリントではない。抗ガン剤で苦しむより、体の動く範囲で大いに楽しむべしと。その時「楽しむ」意思がしっかり残ってないといけないが。

 

2026年5月19日火曜日

改正か改悪か

 高市総理は自民党大会で改憲に触れ「どのような国を創り上げたいのか、その理想の姿を物語るものが憲法です。」と語ったそうだ。これを聞くと、改憲が改悪の方に傾いて行きそうに思えて心配でならない。

権力が正義とか美徳とか理想とかを語り始めたら要注意である。ナチスのユダヤ人迫害も正義の名のもとに行われた事を忘れてはならない。国の理想を語るなら政治学者や社会学者が論文を書けば良い。憲法の一番大切な機能は、権力の横暴を許さない事だ。これはその発祥のマグナ・カルタが国王の力を制限するために作られた経緯からも明らかだ。

改憲が改正か改悪かの判断基準が奈辺にあるか考えてみたい。時代の変化に合わせる、これは良いだろう。憲法9条の「戦力保持の禁止」は明らかに時代に合わない。同じ敗戦国のドイツの憲法が戦力保持を認め、ドイツに連邦軍が存在するのは、その憲法が出来たのが1949年で既に東西冷戦が本格化していた事が背景にある。日本の憲法も、もし朝鮮戦争の後に制定されていたら、今のような憲法9条にはならなかった筈だ。だから、自衛隊を明記するのは改正と言って良いと思う。

だが、今の憲法が大原則としている、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、この三つを放棄するのは改悪だと言って憚らない。自衛隊の明記と平和主義が両立しうる事については前回述べた。自民党の改憲案は平和主義も後退させようとしているし、他の二つもないがしろにしようとしている。国家の理想のためには多少個人の自由と権利が制限されてもやむを得ないという発想は、八紘一宇のためには贅沢を我慢しろというのに似ている。

高市総理は冤罪防止のための再審制度見直しに関心が低かったそうだ。ひょっとして基本的人権に興味がないのではと心配だ。

2026年5月12日火曜日

憲法改□

 改憲への動きが加速しているようだ。憲法を時代に合わせるという趣旨らしいが、それが改正なら勿論賛成だが、改悪になるようだと困る。改憲のポイントは様々あるようだが、今回は9条関連、自衛隊明記の問題について考えてみたい。

改憲に前のめりな高市総理だが、高市さんは憲法9条にもっと感謝しても良いのではないだろうか。今年3月訪米してトランプ大統領との会見の際、9条に大いに助けて貰ったではないか。

当時アメリカは対イラン戦争に対し日本を含む西側諸国に支援・参戦を求めていた。事前の相談でもあったのなら兎も角、相談もなく勝手に始めた戦争に他国を巻き込もうとするアメリカの法外な要求を毅然と拒否するだけの胆力を国のトップが持っていれば良いが、アメリカに媚びを売るしか能がない場合、その国は国軍をペルシャ湾に派遣するのを余儀なくされていただろう。

幸い日本には憲法9条があって、軍の海外派遣を厳しく制限する法律もあるからトランプ大統領の厚顔な要求を飲まずに済んだ。

勿論、権謀術数が渦巻く国際政治の中で日本だけが丸腰で良いとは思わない。自国を守るだけの軍を持つ事は必要だし、それを明記すべきだとも思う。だが、それと平和主義の両立は可能だと思うのだ。それは国防軍・自衛隊の活動範囲を自国の領土領海の範囲内に限定する事だ。国を守るための活動なら、何もわざわざ外国まで出掛けて行く必要はないはずだ。たとえ邦人保護の名目であれ、軍の海外派遣はしない、その事を明記すべきだと思う。

国を守る事はとても大切だ。しかし、その事と他国と干戈を交える事は必ずしも単純につながりはしない。日本が簡単に戦争出来る国になって欲しくない。

憲法改□、この□が正になるか悪になるか、悪にならぬよう国民は厳しく監視しなければならない。

2026年5月5日火曜日

石油枯渇

 ホルムズ海峡が封鎖され石油の流通が滞って、様々な産業が悲鳴を上げている。先日は納豆の業界団体が政府に支援を求めたというニュースがあった。納豆なんて大昔から、それこそ人類が石油と出会うずっと前からある製品なのに、どうして今頃石油不足で困るのか。豆を蒸したり発酵に使う熱源に重油を使うかららしいが、そんな事を言ったら石油不足で困らない業界を探すのが難しいくらいだ。見渡せば猫も杓子もここぞとばかり政府の支援を引き出さなきゃ損だとでも言わんばかりの勢いに見える。

私が会社に入った頃だから、もう50年以上も前の事になるが、ローマクラブという団体が出した「成長の限界」という報告書が話題になった。そこでは、石油は後数十年(30年程度だったかな?)で枯渇するから、今からその対策を練っておかなければならないと警告された。その後、石油が枯渇する年は、何年経っても「後30年」が繰り返され、最近は石油の枯渇は話題にすらならない。

採掘技術が発達して今までは採れなかった石油までが採れるようになった事もあるが、それ以上に石油の需要の変化が大きいらしい。今では石油が資源として枯渇するよりも、石油の需要が枯渇してなくなる可能性の方が大きいとされる。エネルギー源の多様化もあるし、ナフサなど化学資源としての需要もバイオ素材への移行、資源リサイクルの進展などで順次縮小して行くとみられている。かつてオイルショックで省エネが進んだように、ナフサ不足で資源リサイクルが進めば一番良いシナリオではないか。

柏餅を包むのもプラスチックではなく、本当の柏の葉に戻って欲しい。そう言えば桜餅は今でも包んでいる葉を食べられる。ああ、平田の岡本堂や清月堂の桜餅が食べたくなった。