2016年2月16日火曜日

経年変化

手元のメモによると去年十月のニュースだが、凶悪犯の指名手配写真について、長らく未解決のものは年数の経過と共に犯人も老けている筈だから、犯人の老けた顔を予測して公開する技術が開発されたとの事だった。そのニュースを見て最初に思ったのは、そんな素晴らしい技術があるのなら、見合い写真に将来の予測も添付したらどうかという事だった。
冗談はさておき、何年か経った後の姿が正確に予測できるならそれは大変貴重な情報を提供するはずだ。まず思い浮かべるのは鞄や財布などの革製品。良い素材を使って丁寧に仕上げられた立派な製品は使い込めば使い込むほど艶が出て、味が出て、より強い愛着を感じるようになる。ところがどこかの新興国の安物はちょっと使っただけでほつれて色あせして見るも無残な姿をさらけ出す。
職人技ほど違いが顕著ではないにしても一般工業製品でも厳しい品質管理の元で作製された製品はやはり持ちが違う。全ての商品について販売する際に十年後二十年後の姿を添付することを義務付けたら粗悪品が駆逐されて健全な市場形成に役立つのではないか。
人間の場合どうか。年を重ねるごとに人間としての魅力を増す人もいれば、畳と女房は新しい方がいい、なんて事を言う人もいる。十代の頃の魅力と六十代での魅力とに必ずしも正の相関があるわけではない事は同窓会に出てみるとよく分かる。小学生の頃目立たなかった女性がとても魅力的なご婦人になっていたりする。人間の容姿の経年変化はおそらくその人が過ごした時間の中身に関係する。美しく齢を重ねた人はきっと充実した幸福な人生を歩んできたのだろう。
自分の伴侶を美しく老けさせたいのなら、幸福な日々をプレゼントすべく自らを律するしかなかったのだ。もう手遅れだけど。

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