2016年9月27日火曜日

メダル

オリンピック、パラリンピックが終わって各国の獲得メダル数を新聞で見てあるお遊びを思いついた。各国のメダル獲得数の偏りを数値化するためにジニ係数を計算してみようという事だ。
ジニ係数とは所得の偏りを表現するために用いられる指標で、完全に平等な社会はゼロ、一人に富が集中しているという極端な場合を1として、数が大きいほど格差が大きいことを示す。一般には0.3から0.4程度が適度な競争と格差のある社会とされ、0.4を越えると社会不安を引き起こす警戒ライン、0.5以上となると暴動の恐れのある危険ラインとされる。
オリンピックには全部で二百五の国(と地域)が参加し(難民選手団を入れると二百六)、内一つでもメダルを取った国は八十七、百十九の国は一つのメダルも取れなかった。パラリンピックにおいてもほぼ同様の傾向が見られた。いわば半数以上の人が所得ゼロ、トップの人に富の10%が集中するようなモデルになる訳で、実際にジニ係数を計算したら0.85以上になった。大変な偏りだ。
ついでの世界各国のGDPのデータを元にジニ係数を計算したらほぼ同様の値となった。GDPの大きさと獲得メダル数にはかなり強い相関がある。変わったところではインドがGDPでは世界七位なのに、獲得メダル数は五十位以下なのが目立つ。旧共産圏やアフリカ諸国がGDPの割にはメダル数が多く、中国以外のアジアはGDPの割にはメダルが少ない。
それにしてもパラリンピックにおける中国のメダル獲得数の多さには驚いた。彼の国が障害を持つ人達に優しい社会であるという印象はないのだが。オリンピックはともかく、もしパラリンピックが国威発揚のために利用されているとしたらとんだ本末転倒というべきだろう。

2016年9月20日火曜日

車窓

エジンバラからロンドンまでグレートブリテン島の半分を縦断して車窓を眺めた印象を記す。
地図を見ても分かる通りイギリスには左程高い山はない。車窓からの風景は延々となだらかな丘陵が続いており、そのほとんどが牧草地だ。ごく稀にトウモロコシ畑や麦畑を見たがほとんどは牧草地に羊や牛が放し飼いされている。
日本ならどうだろうか。遠くに高い山が見えるが、手前の景色は住宅地を除けば青々とした水田が大部分だとの印象を持つだろう。
牧草地や畑と水田の違いは何か。水田は水を張るから平らにならさないといけない、という点が一番の違いだろう。人間が農耕を始める前の大地はおそらく平らではなく、今のイギリスの風景に近かったはずだ。日本人は長い時間を掛けて大地を平らにならし、水を張って稲を栽培できるように改善したのだ。古代の日本にタイムスリップしてバス旅行をしたら、小高い丘や藪が散在する中ところどころに水田があるという感じだったのではないか。奈良時代の三世一身の法や墾田永年私財法がなければひょっとしたらその風景がそのまま残ったかも知れないのだ。
道路の制限速度も面白かった。高速道路は70、田舎の町の住宅街は「Slow down 30」とあった。日本と同じくらいだと思ってはいけない。イギリスの時速はマイル単位で、キロメートルにするためには1.6倍しないといけないから高速は110km、住宅街は50km程度になる。
日本は概して制限が厳しい。その理由を理解したのは冬の北陸をドライブした時だった。横殴りの雪に視界が開けず制限速度内で走るのが精一杯だった。日本の制限速度は悪天候を想定して決められており、好天で見通しが良い時には物足りなくなってしまうのだと思った。イギリス人はこの点どう考えるのだろうか。

2016年9月13日火曜日

イングリッシュ

「マイ・フェア・レディ」という映画がある。ロンドンの下町の花売り娘を上流階級の社交界に出しても恥ずかしくない淑女に変身させようという言語学者の話だ。オードリ・ヘップバーンの演じるその娘は下町の訛りがあって、「エイ」と発音すべき音を「アイ」と言う。例えばスパイン(スペイン)、ライン(レイン:雨)、プライン(プレイン:草原)などで、「スペインでは草原に雨が降る」という言葉を何度も何度も繰り返し正しく発音する訓練を課せられる。
オーストラリアはイギリスの流刑地としての過去を持っているせいか、オーストラリア人の英語には上記と似た訛りがある。会社の英語教室でオーストラリア人が講師になって最初の講義で「訛りがあるかも知れませんがごめんなさい」というので随分謙虚な人だなあと思ったが、実際講義が始まると閉口した。盛んに「トゥダイ」と言う。「To die」にしか聞こえないので意味が分からなかったが次第に「Today」である事が分かった。
こうした訛りはしかし、英語の本場のイギリスではむしろ主流のようで、BBCのテレビを見ていても沢山耳にした。「オリンピックgame」は「ガイム」、「great」は「グライト」、「amazing」は「アマイジング」などなど。私が親しんでいる英語は現地の人からすればむしろアメリカ訛りだと言われるのかも知れない。
ロンドンのホテルは空港近くのかなり立派なホテルだったが、従業員の多くがインド系の風貌をしていて、話す言葉もインド訛りがきつかった。インド訛りを文字で表現するのは難しいが、ちょっと口ごもったような感じ。
今度の旅行で一番印象に残った英語は、リオ五輪の陸上四百メートルリレーの放送の中でアナウンサーの絶叫のような驚きの声、「Japan has got a surprising silver medal !!」だった。

2016年9月6日火曜日

イングランド

ご存知のように我々がイギリスと呼んでいる国の正式名称はUK(連合王国)で、それはGB(グレート・ブリテン)と北アイルランドの連合であり、GBとはイングランドとウェールズとスコットランドの合体したものである。その地域差や意識の違いを知る事も今回の旅行の一つのテーマだった
旅行のスタートはスコットランド。エジンバラ城にはメアリー・スチュアートがジェームス六世を生んだ部屋というのが残されていた。ジェームス六世は後にジェームス一世としてイングランドの王を兼ねスコットランドとイングランドの合併のきっかけを作った人だ。日本で言うと関が原の戦いの頃の話。スコットランドの王をイングランドの王にしたのはエリザベス一世の意向で、この人は日本で言うと称徳天皇のような人だったように思う。
そのジェームス一世だが、イングランドに行くにあたって三年に一回は帰ると言いながら十七年間帰ってこなかったと肖像画の説明書きに書いてあった。イングランドの方が都会で楽しかったのだろうか。両国の関係を垣間見た気がした。
湖水地方のウィンダミア湖の遊覧船に乗ったとき偶々隣り合わせになったおばさん二人がアイルランドのダブリンから来た人だった。一人の方の言う事が全く理解できない。おそらくアイリッシュ訛りがあったのだろう。もう一人のおばさんがイングリッシュで通訳してくれて助かった。スコットランドの独立をどう思うか聞いてみたら彼女の答えは「Silly(馬鹿げている)」だった。
ウェールズ地方は今でもウェールズ語が公用語として認められており、道路標識も英語とウェールズ語の併記になっている。スコットランドでは見られなかったこの優遇は今一つ影の薄いウェールズに対する配慮なのだろうか。