ある新年会で小学生と中学生の子供を持つ女性から聞いたのだが、最近は小学校でも英語を教えるのだが、アルファベットの筆記体は中学校でも教えないのだそうだ。どうしてだろう、そんな事で良いのか、というのが件の女性の疑問と心配であり、私も意を同じくした。
確かに昨今は英語に限らず何か文章を書くのにパソコンやワープロを用いることが多かろうから、筆記体の出番は少ないのかも知れない。しかし頻度は少なくても他人が手書きしたものを読む機会はあるだろうし、aやcやeなら特に習わなくても活字体からの類推で分かるだろうが、fやrやsなどは教わらないと読み取れないのではないか。
私自身中学生の時、英語の筆記体は教えるのにどうして日本語の筆記体は教えないのだろうと思った事がある。変体仮名は筆記体とは違うかも知れないがともかく、美術館や博物館へ行って展示物に書かれた日本語が読めないのが残念でならない。「能」を崩して「の」と読ませたり、「耳」を崩して「に」と読ませるなど義務教育で教えて欲しかった。
かつて教育の一番基本であった「読み書きそろばん」がデジタル技術の発展で疎かにされるのは如何なものか。筆算も足し算や掛け算はともかく、割り算は心もとない人が多いのではないか。平方根の計算などもう全く自信がない。
そう言えば去年の秋、某大学のイベントで投光器の熱でおが屑が燃え少年が死亡する事故があった。大学生にもなってあの状態で火災を予想できなかったのには唖然とした。白熱灯を交換したり、五右衛門風呂を直火で沸かしたり、火や熱を実感できる機会がなくなったのはオール電化技術の一つの弊害なのだろう。
「読み書きそろばん火の始末」これはいつまでも教育の基本にあるべきだと強く思う。
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