人と接するに当たってとても大切だと思っている事がある。それは誠意と敬意を忘れてはいけないという事だ。敬意の方は相手の資質にもよるから「出来れば」という条件が着くが、誠意は100%自分の問題であり、たとえ相手がどんな極悪非道な人間であっても誠意を持って接することは可能なはずだ。
一般社会で大切なこの原則、ましてや礼を重んじる外交において絶対条件だと思うのだが、その人には全くそうした気遣いがないようだ。メキシコの大統領との会見を壁の建設費を巡る意見の対立からキャンセルしたり、オーストラリアの首相との電話会談を途中で打ち切ったり。そこには敵意と慢心しか見えない。
アメリカを愛しているからアメリカの利益を害する者に対しては毅然とした態度で接するのだ、という言い分なのだろうが、こうした誠意と敬意を忘れた対応はかえってアメリカの利益にはならないように思う。少なくとも国家としての品位を著しく落としている事は事実ではないか。こんな事をしているとかつては全ての国から敬意をもって迎えられたアメリカが次第に敬意を失くしてしまうかも知れない。
相手が敬意に値しない人でも誠意だけは忘れまいと努めているように見えるのがアメリカの相手国だ。だが、誠意と阿諛、迎合、追従を間違えてはいけない。毅然とした態度というのは強い国が弱い国に対して見せるものでなく、むしろ弱い国が取るべき態度なのだから。
「アメリカ・ファースト」という言葉はアメリカへ愛国心の表れだ。仏教では「愛」は執着の原因となるとして否定的に扱うのだそうだ。私個人的には「愛」は至上の価値のように思えるがアメリカの傍若無人な大統領を見ていると、仏教の教えに従って「愛」を見直さないといけないような気になってくる。
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