2017年6月27日火曜日

テレビ

五百十回の当コラムでは週刊誌がネットにとって代わられそうだと思った話を書いた。テレビがネットにとって代わられる日も遠くないかも知れない。
先日加計学園問題に関連して前文科省事務次官の前川さんが記者会見をした。某民放局でその様子を見ていたが、開始から間もないこれからという時に場面が切り替わり、妻を亡くした市川海老蔵の会見に変わってしまった。あちゃー、と呆れながらチャンネルをいろいろ回してもどこの局も全て海老蔵の顔ばかり。あわててタブレットのスイッチを入れて、無料の動画配信サービスのニュースチャンネルで前川さんの会見の続きを見ることが出来た。
それにしても既存の民放各社の芸能界重視の姿勢はどうしたものだろう。誰かちょっと名の売れた芸能人が亡くなった翌日は朝のニュース番組がハイジャックされたみたいで悲しくなる。一番ひどかったのは高倉健が亡くなった時だった。ちょうどその頃出雲に帰省中で、新聞もなく朝のニュースを楽しみにしていたがどこのチャンネルも高倉健一色。それも一時間以上延々と彼にまつわる逸話を流し続けたのには本当に閉口した。(ずっと見ていた訳ではなく、一旦スイッチを切って、そろそろ普通のニュースをやっている頃だろうと思ってスイッチを入れてもまだ高倉健をやっていた、という事です。途中別の話題が挟まれていたのかどうかまでは分かりません。)
芸能ニュースに強い関心をお持ちの方もいらっしゃるだろうから、一つくらいそういう局があってもいいが、全ての局が右に倣えでは困る。前川さんの会見では既存のマスメディアに対する苦言もあった。昨今権力に阿る傾向が強いのが懸念される、と。会見の翌日の読売は勿論、朝日にもその苦言についての言及はなかった。新聞よお前もか。

2017年6月20日火曜日

ウソ

ウソをつく事を強要される時の気持ちはどんなものだろうか。森友学園や加計学園の問題を巡る官僚達の歯切れ悪い答弁を聞くとその胸中を察するにあまりある。
ウソをつくのは悪い事だと言う自覚はおそらく殆どの人が持っていて、出来ればウソはつきたくないと思っている。だが時に自分の身を守るため悪いと知りつつウソをついてしまう事がある。だが、つきたくないウソをつく時の気持ちはさぞ辛かろう。
ウソについてエジソンの話を思い出した。一九二九年に起きた世界恐慌で多くの若者が職を失い、その救済策として立ち上げたある事業への採用試験として次のような設問をしたそうだ。
1)もし百万ドルの遺産を貰ったら、あなたはそれをどのように使いますか。
2)幸福、快楽、評判、名誉、金、愛情の中で、あなたが自分の一生をかけたいと思うのはどれですか。
3)死に臨んで自分の一生を振り返ったときに、どういうことでもって、一生が成功であったか失敗であったかと判定しますか。
4)どういう場合にウソをついてもよいと思いますか。
いずれも実に面白い質問だが、ウソについては皆さんはどのようにお考えだろうか。
皆さんは過去にどのようなウソをついた事があるだろうか。それは正当化できるとお考えだろうか。まさか今まで一度もウソをついた事がない、なんて人はいないでしょうね。そんな事を言ったらそれこそウソだ。

許されるウソ、それはウソがばれた時当事者が誰も傷つかない事なのではないか。ウソを言った方も言われた方もそれぞれの立場を考えるとそれなりに納得出来るようなウソ。オー・ヘンリーの短編「最後の一葉」の泣けるウソはその典型か。少なくとも国会でついて良いウソは思い浮かばない。

2017年6月13日火曜日

禁酒禁煙

だいぶ前のことになるが新聞で気になる記事を見た。厚労省が禁煙に続いて禁酒も規制対象にしようという動きがあるというのだ。禁煙については受動喫煙を問題にして全面禁煙の賛否について論争があるようだが、禁酒については飲食店での飲み放題サービスを禁止するとかを考えているらしい。
そう言われてみると長距離バスでも気になる動きがある。最近車内での飲酒を禁止するケースが増えているのである。東京から出雲に帰省する際、関西に立ち寄って半日観光をするのを楽しみにしているのだが、東京と関西をつなぐバスは殆ど全てのバス会社が車内での禁酒を謳っている。幸い関西から出雲の便は特にそういう要請をされる事は今のところない。半日歩き回って、バスに乗る前にビールとつまみを買い込んで車内で一杯やりながらゆっくり過ごすという楽しみはまだ奪われてはいないが今後はどうか。
確かに他人の迷惑になる行為は良くない事だ。私自身煙草をやめて何十年にもなり、正直煙草の臭いは嫌いだ。缶ビールを開けた時のビールの臭いはお酒を飲まない人にはあの煙草の臭いのような嫌悪感があるのだろうか。ならば反省しないといけないが。
国が我々の健康を気遣ってくれるのは有難い話だが、あまりに強権的に上から目線で命令されると反発したくなる。なんでも平成十四年には「健康増進法」という法律が制定され、我々国民は「健康増進に努めなければならない」責務があるのだそうだ。平成二十五年には「アルコール健康障害対策基本法」が制定され国民たる者「アルコール健康障害の予防に必要な注意を払うよう努めなければならない」のだそうだ。余計なお世話だと言いたいのだが厚労省内にはアルコール健康障害対策推進室なる組織まであって相当本気らしい。

2017年6月6日火曜日

歪み

五百八回の当コラムで「気骨のある役人はいないのか」と書いたが、そういう人が出てきた。文科省の前事務次官の前川さん。テレビや新聞の情報を見る限り周りの人からの評判はなかなか良い人のように見える。官邸や内閣府の言う事を聞かないから更迭の口実に天下り問題を暴露されたのが本当のところではないか。
それにしても日々の私生活を監視下に置かれるなんて、偉くなると辛いものだなあ。確かに高官が他国のスパイなどと会っていたりしたら困るから一定の監視は必要なのだろうが。でも出会い系バーに出入りしていたことだけを捕らえて人格攻撃をするのは如何なものか。ああいう場所に出入りする人はいやらしい動機でしか行かないと決め付けるのは、そう思う側の心の卑しさを表しているに過ぎない(官房長官も私も含めて。また週刊新潮に「助平だから行ったのですと正直に言うべきだ」と書いた藤原正彦氏も含めて)。本当に前川さんが調査目的で行ったのか検証するために週刊文春は彼と会っていたという女性の証言を取っていた。彼女以外にも会っていた人はいるのだろうからそれが全てではないのだろうが。
歪みの本当の原因は行政が過度に民間事業に介入することにあると思う。世の中に獣医師が足りているかどうかは、獣医師になりたい人が判断すれば良い事だ。なりたいと思う人が多いかどうかを見て学校法人が獣医学部の創設をするかどうか判断すれば良い。それで経営が成り立つかどうかは法人の自己責任でやれば良い事で、国が規制したり助成したりするから変な利権が生まれ、歪みが生じる。
官が行うべきは法人の経営の実態を正確に監査調査し、公平公正に公表する事により法人と消費者(この場合入学を希望する学生)の間の情報の非対称性をなくすだけでいいと思うが如何。