五百十回の当コラムでは週刊誌がネットにとって代わられそうだと思った話を書いた。テレビがネットにとって代わられる日も遠くないかも知れない。
先日加計学園問題に関連して前文科省事務次官の前川さんが記者会見をした。某民放局でその様子を見ていたが、開始から間もないこれからという時に場面が切り替わり、妻を亡くした市川海老蔵の会見に変わってしまった。あちゃー、と呆れながらチャンネルをいろいろ回してもどこの局も全て海老蔵の顔ばかり。あわててタブレットのスイッチを入れて、無料の動画配信サービスのニュースチャンネルで前川さんの会見の続きを見ることが出来た。
それにしても既存の民放各社の芸能界重視の姿勢はどうしたものだろう。誰かちょっと名の売れた芸能人が亡くなった翌日は朝のニュース番組がハイジャックされたみたいで悲しくなる。一番ひどかったのは高倉健が亡くなった時だった。ちょうどその頃出雲に帰省中で、新聞もなく朝のニュースを楽しみにしていたがどこのチャンネルも高倉健一色。それも一時間以上延々と彼にまつわる逸話を流し続けたのには本当に閉口した。(ずっと見ていた訳ではなく、一旦スイッチを切って、そろそろ普通のニュースをやっている頃だろうと思ってスイッチを入れてもまだ高倉健をやっていた、という事です。途中別の話題が挟まれていたのかどうかまでは分かりません。)
芸能ニュースに強い関心をお持ちの方もいらっしゃるだろうから、一つくらいそういう局があってもいいが、全ての局が右に倣えでは困る。前川さんの会見では既存のマスメディアに対する苦言もあった。昨今権力に阿る傾向が強いのが懸念される、と。会見の翌日の読売は勿論、朝日にもその苦言についての言及はなかった。新聞よお前もか。