2018年3月20日火曜日

反骨

財務省の辞書には「反骨」という文字がないのだろうか。自らの信念に基づくとは到底思えない歯切れの悪い答弁を聞いていると可哀想になってくる。官吏に求められる素質は清廉・潔白・反骨でだと思われるがそれらはどこへ行ったか。
中国は明の初期の官僚・方孝孺は反骨の人だった。初代皇帝・洪武帝と二代建文帝に仕えた彼が三代目の永楽帝に対して取った態度には驚かされる。明の黄金時代を築いた永楽帝だが、その即位には暗い影がある。洪武帝が死んだ時その長男は既にこの世を去っていたため孫が二代皇帝建文帝として即位した。洪武帝の四男朱棣(後の永楽帝)はその頃燕王として北京に駐在し北方民族の侵略に備える役割を果たしていたが、建文帝の粛清を恐れて逆に兵を上げる。当初は流石に政府軍の勢いの方が強かったらしいが、都南京で太平を楽しんでいた軍と、北方の異民族の脅威と直面していた軍との違いで次第に形成が逆転したらしい。最後は朱棣が勝利し永楽帝として即位する。
永楽帝は官僚のトップであった方孝孺に即位の詔書の草稿を書くように命じた。そこで書かれた言葉は「燕賊簒位」。不当にも甥を殺して位を簒奪したお前に皇帝を名乗る資格はない、とでも言うのか。書き換えを命じても当然方孝孺は応じない。怒った永楽帝は方孝孺自身や方家一族は勿論、妻や母の実家の一族、さらには門人まで皆殺しにした。
我が身にどんな災難がふりかかろうと史実を曲げることは出来ないとの自負が反骨精神を支える。
日本では事実を曲げるあるいは隠蔽するかのような書き換えをした人(達?)が政府から見放されようとしている。石川啄木の「一握の砂」に次のような歌があった。
 気の変る人に仕へて
 つくづくと
 わが世がいやになりにけるかな

0 件のコメント:

コメントを投稿