ドラフト四位で入団して世界一の安打記録を残したイチローの引退会見を見て思った。努力は人を裏切らない。ん?本当にそうだろうか。確かにイチローの場合、努力は彼を裏切らなかった。しかしその陰で努力が報われずに涙に暮れた人も数多くいるのではないだろうか、と。
「期待はずれのドラフト一位—逆境からのそれぞれのリベンジ」(元永知宏著)という本がある。ドラフト一位指名という栄光を引っさげてプロ野球界に入りながら、華々しい活躍の出来なかった人達の努力とその後が描かれる。彼等は決して努力を怠ったわけではなかった。むしろ人一倍の努力をし、逃げ出したくなるほどの猛練習を重ねている。そして怪我や故障に泣かされ、努力をしたくても出来なくなってしまった、そんな人もいる。
イチローと同期のドラフト一位は田口壮だった。彼もイチローに負けない位の努力を重ねたに違いない。しかもスカウトの眼が正しければ才能も素質もイチロー以上のものを持っていたはずだ。努力は気まぐれな女神なのだろうか。
ここで急に卑近な例になって申し訳ない。私事で恐縮だが、今回の帰省の目的の一つは月一回平田で開かれる「ジャズで遊ぶ会」でピアノを弾く事だった。今度こそはノーミスでと、十分に練習したつもりで臨んだが、やっぱりトチってしまった。そもそもステージに上がってピアノの前に座ると、ミスをするんじゃないかという疑心暗鬼で胸が騒ぐ。そんな自信のなさは努力不足以外の何物でもない。努力の必要最低量は自信を持つことなのだと思った。
という訳で気を取り直して次回の発表に向けて新しい曲に挑戦を始めたところである。努力の女神は振り向いてくれないかも知れない。しかし努力をしないで成功をつかんだ人がいない事だけは真実なのだから。