2020年2月25日火曜日

感染者


連日の新型コロナウィルスの報道に食傷気味なんて言葉を使ったら不謹慎だろうか。コレラとかエボラ出血熱のような重い症状をもたらすものならともかく、せいぜい風邪かインフルエンザ程度の病気にしてはちょっと騒ぎ過ぎにも思える。

そして国立の有名大学がこぞって感染者の受験を拒否するに至っては驚いた。風邪をひいた程度で受験の門を閉ざされたら受験生が可哀そうだ。

かつてエイズという恐ろしい病気が話題を席捲した時には、感染者を社会が暖かく受け入れましょうという動きがあった。空気感染はしないから同じ職場にいても大丈夫、と。しかし同じビルで働いている人の中にエイズ患者がいたとして、ビル内の同じ理髪店に行く事もあろう、理髪店では普通カミソリを使い捨てにはしないから同じカミソリが使われる可能性だってある。そんなの嫌だと言ったら、玉木さんって冷たい人だね、と非難を浴びた。いくら感染の確率が低かろうと一旦感染したら死を覚悟しないといけない場合と、今回の新型コロナウィルスとでは話が違う。

エイズの時は輸血による感染など本当に気の毒なケースもあったという事情もあるが、今回も同じように感染者に対してもう少し寛容であって然るべきではないか。せめて部屋を分けて受験させるなどの配慮が欲しい。
部屋をどれくらい用意すれば良いのか試算して驚いた。222日現在国内の感染者数はクルーズ船の人以外で134人。人口約一億人の中での割合を東大受験生一万人に当てはめると0.0134人。百倍に感染者が増えたとしても受験生の中に一人かせいぜい二人の程度だ。年齢別割合を考慮すればもっと少なく、ほぼいないと思って良いのではないか。受験拒否はそこまで読んでの事だったのか。

2020年2月18日火曜日

雑感


連日新型コロナウィルスが報道される。感染者数は増える一方で残念ながら死者も出た。この騒ぎが一体どういう形で収束するのか心配でならない。SARSMERSも当初は新型コロナウィルスだったのだろうが、いつから名前が定着したのか。両者とも後ろのRSは呼吸器症候群を意味する。今回のはBURSとでもすればよかったのか、COVID-19は定着しそうにない。

コロナウィルスの記事に隠れるように、イランで欧米との協調路線を取るロウハニ大統領の派閥が少数派になりつつあるという記事があった。中東では事態が小康状態を保っているのか、きな臭いニュースはあまり聞こえてこないし、ガソリン価格も落ち着いているが、予断は許さない。

中東における欧米諸国の行動を見ていると、彼らが今でも中東やアジアを植民地だと勘違いしているのではないかと思えて来る。かつて植民地を広げる時、彼らは未開の地にキリスト教を広めるのだと標榜していた。そして今彼らが標榜するのは民主主義という大義名分だ。だから独裁者フセイン大統領は殺されて然るべきだった。だがそれが単なる口実に過ぎないのは、およそ民主的とは言い難いサウジアラビアにはなんら干渉しないのを見ても分かる。要するに自分らの利益に沿うか沿わないか、それだけではないか。

欧米人が中東を含むアジアを如何に蔑視しているかは、映画を見ても分かる。アカデミー賞を取ったアルゴやミッドナイト・エクスプレスなど、どう見てもイランやトルコを馬鹿にしている。オペラの蝶々夫人では貞淑な日本人女性が娼婦扱いされているのがあまりに不愉快で途中で見るのを止めてしまった。欧米人の根底にある過信とこの差別意識がなくならないと中東に平和は訪れないのではないだろうか。

2020年2月11日火曜日

暖冬


今年の一月は暖かく、テニスをしていて汗だくになりそうな日すらあった。先日テレビのニュースを見ていたら、今年の一月の平均気温はここ百年で一番高かったとか。その事からアナウンサーは「百年に一度の事が起きた訳です」と地球の気候変化への警鐘を鳴らすかの発言をした。ちょっと待ってくれ。「百年に一度」の事とは、統計的に一%の確率でしか起こらない事を言うのであって、たまたま今年が最高気温だったからそういうのはおかしい。画面に映るグラフを見ると、数年前に二番目のピークがある。ならば数年前にも百年に一度の事が起きた事になる。「百年に一度」の事がそんなに何回も起きては困る。

本当に「百年に一度」と言いたいのなら各年のデータの平均と標準偏差を算出し、今年のデータが平均から離れている度合いが標準偏差と比べて十分大きい事を示さなければならない。実際どうだろうと思って気象庁のサイトにアクセスしてみた。そこには東京の「日平均気温の月平均」が1876年から掲載されている。今年は7.1度でここ数年では最も高いが、遡って見ると2007年に7.6度、1988年に7.7度、などの数値もある。テレビで使われたデータはこれとは別のものなのだろうが、少なくとも東京に関しては今年が特別に「百年に一度」の暖かさだったわけではなさそうだ。

気候変動の問題では議論に使われるデータの信憑性に常に注意しなければならない。環境活動家の大部分は純粋な気持ちなのだろうが、中には自分の経済的利益が目的の人もいると聞く。グレタ・トゥーンベリさんは「大人達は金儲けしか考えてない」と怒りを顕わにするが、自分の仲間にもそういう人がいるかも知れませんよと忠告したい。少なくともあまり露骨に憎しみを表に出さない方が良い、と。

2020年2月4日火曜日

マスク


何日かぶりに東京都心に出てあまりに多くの人がマスクを着用している事に驚いた。私の住む埼玉の田舎町では想像できない光景だった。五割とまではいかないがどう見ても三割以上の人がマスクをしている。地下鉄のホームで電車を待っていると後ろの方で大声で話す中国語が聞こえてきた。振り返るとそこには家族連れがいて、大人はマスクをしているが子供はしていない。無防備な私はおもむろに場所を変え、難を避けた。

中国ではマスクが品薄となり様々な騒動になっているらしい。買い求める客が何時間も列をなしているとか、売り惜しみをする店と客との間で喧嘩になったとか。マスクがなければハンカチやタオルで口を覆えばいいではないかと思うのに。繊維の質や目の粗さがマスク特有のもので代替が効かないという話を聞いた事がない。タオルを顔に巻いて後ろで結んだ姿を想像すると、まあ恰好はあまり良くないがそれでも何時間も並んだり、ましてや喧嘩をするよりはましだろう。

ワイドショーでは警官がバス車内でマスクをしていない女性を降りるよう勧告している場面も報道された。あの時女性がバッグからハンカチを取り出して顔に巻き付け口元を覆ったらあの警官はどうしただろうか。
中国の後進性を思わせるシーンもあった。武漢の雀荘で警官が雀卓をハンマーで壊すシーンである。ウィルスの拡散を防ぐため、人が集まるのを極力なくそうと、麻雀に興じる人達を解散させるのはまだ良いとして、備品を破壊するのはやり過ぎだろう。権力と民衆の関係はその地の民度の成熟さを表す。同じことがもし日本で起きたら、行き過ぎた公権力の行為を罰する法律はあるのだろうか。