2022年1月18日火曜日

本物と偽物

 

正月気になったのがメタバース(仮想空間)についてのニュースだった。ラスベガスでの展示会CESでは視覚や聴覚だけでなく触覚すらも再現するものが現れたらしい。ゴーグルのような大きな眼鏡を掛けて仮想空間で銃を打ち合うゲームに興じる人が相手の弾が当たると痛みを感じたりもする事が報道された。将来的には特殊な手袋を嵌めてテレビ会議の相手と握手したり、特殊なシャツを着て遠距離恋愛の恋人と抱き合ったする事も出来るようになるかも知れない。しかし人との接触という感動が仮想空間という偽物で代替できるものなのか。

絵画鑑賞なら偽物でも足りる。伊藤若冲の動植綵絵という傑作は上野で公開された時、五時間待ちの大行列になったが、偽物で良いなら京都は相国寺の承天閣美術館で待ち時間ゼロですぐ見れる。偽物と言っても高度な技術で複製した物で、本物と二つ並べて飾ってあればどちらが本物か見分けがつかないだろう。絵画の価値とはそこに描かれた構図や色彩の妙が与える感動や癒しにあるのだから、見分けがつかないのなら本物も偽物も同じだ。むしろどれだけゆっくり時間を掛けて鑑賞できるかの方を私なら重視したい。私が見た時は外国人の老夫婦と他に日本人が一人いただけで心行くまで堪能できた。日本語の解説を読めない外国人が「まあ何て綺麗な桜なの」と言っているので「いや、それはチェリーではなくピーチですよ」と教えたりもした。

絵画なら偽物で満足できても、人との接触だけは本物でなければ意味がないように思える。ミュージカルのキャッツでは孤独に悩む年老いた猫が「Touch me」と悲痛な声で唄う。彼女がメタバースで思い出の人と抱擁出来たらその孤独感がいくらかでも癒されるのだろうか。いやむしろ一層深い孤独に襲われるように思えてならない。

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