皆様良い年をお迎えの事と思います。今年も当新聞並びに当コラムをご愛顧の程お願い申し上げます。
関東の元日は風は強いものの気持ち良く晴れた。初詣やその他の用事を早い内に済ませ、お昼からお屠蘇を頂く事にした。父が昔使っていた金杯に大吟醸酒を注いで唇を盃に近づける。盃を持つ親指と中指にお酒がひたひた触れる感触がなんとも言えない。やっぱりお酒は盃で飲むものだと思うのがこの瞬間だ。
しかし世の中を見るとお酒を飲むのはぐい飲みが主流で、中にはコップ酒なんて人もいる。それは多分注ぐ時にその方が便利だからだろう。盃はその形状からしてそっと注意して注がないとすぐに溢れ出てしまう。世界中どの民族もお酒は好きで大切にして、溢れ出させるような事はしたくなかったようだ。その証拠にビールジョッキにしてもワイグラスにしても上からドボドボと乱暴に注いだとしても簡単には溢れ出ないような形をしている。私の知る限り日本の盃だけがこの様な一見不便な形をしている。
愚考するに日本文化は人が行儀良くなる仕組みを内在しているのではないか。将棋の対局姿勢を見てそう思った。昨今NHKの将棋トーナメントはコロナ対策の一環として対局者の間に仕切りを設けてテーブルの上に薄い盤を置いて両者が椅子に座って対峙する形式で行われる。そして時々見かけるのは対局者がテーブルに肘をついて考える姿である。その姿を私はあまり美しくないと思う。和室で座布団に正座して対局する時、そんな姿勢は取れなかった。正座して背筋がピンと伸びている姿は見ていて美しい。お酒だって片手で乱暴に注ぐよりも、両手を添えてお淑やかに想いを込めて注ぐ方がずっと美しいではないか。
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