2022年9月27日火曜日

背広:トライアングル第785回

 プーチン大統領がウクライナでの戦闘に予備役の動員も考えていると言った。本人は立派な背広を着て空調の効いている部屋で豪華な調度品を背にしてのたまっている。戦争の現場で泥と埃と汗にまみれ、暑さ寒さを感じる間もない環境で必死に命を繋いでいる人が見たらどう思うのだろうか。これから招集される人達だって釈然としないものがあるのではないか。せめて軍服に身を包み、薄暗い地下壕でここ数日お風呂に入っていないような感じで訴えれば兵士の士気も上がるかも知れないが。

薄暗いと言えば最近のニュースには「省エネのため照明を落として放映しています。」というメッセージが表示される。それでも画面は決して暗い訳ではなく、十分識別できる明るさがあるから、ウクライナ戦争が終わってエネルギー問題が改善した後も、経費節減の観点からこの程度の照明を維持して貰いたいものだ。むしろ「省エネのため」というのなら空調を落としたらどうか。男性アナウンサーは皆長袖の背広を着ている。それでも我慢できるというのは空調の設定温度が相当低くなっているに違いない。照明より空調の方が遥かに省エネ効果は高い。男性は全て半袖のワイシャツかポロシャツで丁度良いくらいの温度にすべきだろう。背広を着ていないからといってそれを不快に思う視聴者はいないと思う。

そもそもニュース番組にアナウンサーが必要なのか。最近時々AIによる合成音声でニュースが読み上げられる時がある。これも殆ど違和感がない。人間が原稿を読む事にどういう意味があるのか。AIなら読み間違えもしないだろう。ニュースのスタジオから人がいなくなれば空調の必要もなくなり、節電効果は一層上がる。今は花形の女子アナもテニスの線審のような宿命にあるのだろうか。

2022年9月20日火曜日

大河ドラマ:トライアングル第784回

 日本の大河ドラマも面白いが、中国にも似たようなものがあるようだ。日本以上に長くて多彩な歴史を持つのだから題材も山ほどあるに違いない。某有料チャネルでは「太秦賦」と題する連続ドラマが毎週放映され先日の最終話第78話で幕を閉じた。秦の始皇帝が天下統一をする話で、彼が趙で人質として過ごした幼少時代から始まって、斉を滅ぼして統一を完成するまでの内容だった。後に秦を破滅に追い込む趙高も既に出ていて、彼がどのように発言権を高めていったのか注目していたが、その前に終わってしまったのは残念だった。

中国の歴史に関しては陳舜臣の本などである程度予備知識があるが、自分の知っている事と違う視点で描かれているとまた新鮮な気持ちになる。例えば韓非が殺されるのは李斯がその才を妬んで始皇帝に陰口を言ったからだと思っていたが、ドラマでの李斯はそんなケチな男ではなかった。自分の国である韓を滅ぼされたくない韓非がスパイまがいの事をやったため、始皇帝はその才を惜しみながら泣く泣く処分した、という描き方だった。民の幸せのためには天下を統一して戦のない世を作る必要があり、韓がどうの趙がどうの魏がどうのなどと言うなという訳だ。

従来なら民を万里の長城の建設に駆り出したり焚書坑儒をやったり残忍な暴君としての側面だけ強調される始皇帝だが、このドラマでは威風堂々とした風格、高邁な志を持ち、凛々しく英明で民を思う名君として描かれる。朝議では臣下に自由に意見を述べさせ、最終決定は英邁な君主が自分の責任で独断する。それが中国式民主主義だとでも言わんばかりだった。民主主義とは意思決定の過程が大事なのではなく、政策が民の為になっているかどうかこそが問題だ、という中国政府の立場を代弁しているのだろう。

2022年9月13日火曜日

鎌倉幕府:トライアングル第783回

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しみに見ている。鎌倉時代については司馬遼太郎があまり書いてくれなかったせいもあり知識が殆どなかったが、色々本を読むと大変スリリングな時代だった事が分かる。魑魅魍魎が跋扈する鎌倉の舞台を無事泳ぎ切るのはさぞ大変な事だったろう。そもそも北条氏は三浦氏、千葉氏、比企氏などに比べてうんと弱小な家だったらしいから、その家から頼朝の妻を出したというだけの縁でのし上がっていくのは相当の力量があった証拠だ。

だがそこで思うのは、もし北条義時が戦国時代に生まれていたら、一国を乗っ取り、さらに国を広げていく事が出来ただろうか、という事だ。戦国時代の大名には軍事力の他に国を治め国を富ます経済的センスが求められた。信玄堤による治水や農地開拓、楽市楽座による経済の活性化など。権謀術数に長けているだけでは戦国時代は生き残れない気がする。

そしてまた思うのは、もし頼朝ではなく甲斐源氏や摂津源氏が勝利し、彼等が朝廷との交渉の窓口を担う事になっていたら、鎌倉であれほど激しい主導権争いが起きていただろうか。自分等が天下の中心にいる立場にはなく、ただ従うだけの存在であったなら、仲間同志で殺し合う事までしなくて済んだのではないか。

そしてそして最後に思うのは、もし岸田首相が鎌倉幕府の一員だったらあの権謀術数の海を泳ぎ切れたのだろうか。とても否定的に思える。もしあの人が鎌倉幕府でトップを目指そうものならすぐにも寝首を掻かれただろう。国葬の問題にしろ、コロナの全数把握にしろ、その意思決定と合意形成は余りに稚拙だ。国民の多数が賛同しない国葬への参加を躊躇う外国要人も出るのではないか。イギリスの国葬との対比において日本の恥となるような事のない事を祈る。

2022年9月6日火曜日

負け方:トライアングル第782回

 セレナ・ウィリアムスの最後の試合になるかも知れない試合を見逃す訳にはいかなかった。今大会第二シードの選手に競り勝った時にはまだまだと思わせたが、やはりもうすぐ満41歳という年齢のせいか、三回戦で力尽きた。それでもセットを一つ奪い、最後も5回のマッチポイントをしのぐ頑張りには心から拍手を送りたかった。最後の最後まで勝利を決して諦めず全力を尽くす執念を見ると、スポーツの世界には潔い負けというのは理論上存在し得ないのかと思う。

というのはその前にNHKの将棋トーナメントで潔い負けを見ていたからだ。最終盤、相手玉が詰むか詰まないかの局面になった。長手数の詰みがあるかどうか、解説者も頭をひねる。王手を続けて相手の間違いを期待するのも一つの戦術であったろうが、それは相手方に失礼だと思ったのか、大長考の末出口六段が指したのは受けの手だった。相手玉に詰みがない事を読み切ったのだろう。そして相手の次の一手で投了したのだった。実に潔い負け方だった。

同じ日に放送された囲碁の方は、潔さそうで疑問が残った。AIの勝率予想では2%と苦戦が続く後手。しかし大きな石が取られた訳でもなく、盤面は微差らしい。AIは間違いをしないという前提で勝率をはじくから数字上2%でも小さなミスで数目程度はひっくり返る。ヨセを打ち進め、後は駄目詰めかと言う段になって突然投了してしまった。プロなら読み切れる一目二目の差だろうが、素人はそれを知りたい。あそこまで打ったのなら恥を忍んで並べて欲しかった。

さて、スポーツは戦争を模擬したものと言われる。スポーツに潔い負けが存在しないなら戦争にも潔い負けは存在しないのだろう。強いて挙げれば日露戦争の時のロシアはどうか。ウクライナでもロシアが潔い負け方をしてくれればよいのに。