2023年6月27日火曜日

潜水艇

 海底に沈んだタイタニック号を見に行こうと5人の客を乗せた潜水艇が帰らぬ物となったニュースには色々な思いがよぎった。

NHKは昼のニュースのトップでそれを報じたが、まずそれを不思議に思った。もしアメリカ中西部の田舎町での5人が亡くなる交通事故なら日本のニュースになる事ことすらなかったろう。5人が特別な人だとでも言うのか。確かに5人共大変なお金持ちであったようだが、それでもその死が世界に影響を与える訳でもなさそうだ。状況の特殊性にニュースバリューがあったのか。いくら特殊な状況と言えども、何らかの教訓を残すようなものでもなければニュースの価値はないのでは。

韓国のセウォル号沈没事件は儲け主義に走る事の危険性や、自ら状況を判断して適切な行動を取る事の重要性など、様々な教訓を与えた。そのセウォル号事件と比較して、当局の不手際や関係者の無責任さに対する怒りが沸き上がって来ないのも不思議な事ではあった。78日の旅に3500万円もの大金を惜しまない人へのやっかみがあるのか。遠い場所で自分とは関係のない人が亡くなったというだけで特別の悲しみも感じなかった。

そしてまた思ったのは旅行の楽しみって何だろうという事だ。海底の廃墟と化した旅客船を見るならビデオで十分でわざわざ危険を冒してまで行こうとは思わない。宇宙旅行気分を味わうために気球に乗って空高く登る企画が2400万円で売り出されているそうだが、それも私からすると気違い沙汰に思える。旅行の醍醐味はその地その地で生きた人々の息吹を感じる事ではないか。松尾山に登って関ケ原を見下ろし、小早川秀秋の迷いに思いを馳せたり、万里の長城が山の尾根伝いに見渡す限り延々と続く様を見て、古代中国人の夷狄に対する恐怖を肌身に感じたり。

2023年6月20日火曜日

のようなもの

 先週は上空の寒気のせいか大気の状態が不安定になり各地で天候不順が見られた。ある地では直径23㎝はあろうかという氷の塊が地面を叩きつけ、アナウンサーは「雹のようなものが降りました」と言った。また別の地では地上から天に向かって黒い帯が渦を巻き木々を揺らす様子と共に「竜巻のようなものが発生しました」と放映された。また別の地では大雨が地面に水しぶきをあげる様子が流れたが流石にこの時は「雨のようなもの」とは言わなかった。

どう見ても雹や竜巻であるのは確かなのに、「のようなもの」とわざわざ言うのは何故だろう。もし万が一間違っていたらまずいと思うからなのか。「のようなもの」という表現には責任逃れの匂いがする。

同じような責任逃れの匂いを、警察が犯罪者を逮捕する際の罪名にも感じる。自衛隊の射撃訓練中に起きた上官殺害事件では罪名が「殺人未遂の疑いで逮捕」とされた。二人の人が命を落としたのは明白な事実なのに、どうして殺人未遂なのだろう。他の事件でも、逮捕時の罪名は事件の本質から外れた軽微なものが充てられる事が多い。絶対間違えようのない確実な線で、との意向があって今回は「殺人のようなもの」で殺人未遂が選ばれたのか。確かに殺意の立証は捜査を待たねばならないから殺人罪の適用は尚早だとしても、各種事実から傷害致死罪は確実に問える。殺人未遂よりはまともではないか。

「のようなもの」で思い出すのは落語の艶笑小話だ。ある大店の娘が病気に伏せていたが回復に向かい、侍女が医者に尋ねる。「そろそろ松茸のようなものを差し上げても良いでしょうか」「いや、それはいけません」「お嬢様は松茸御飯や松茸の汁物が大好物なのですが」「あ、松茸は大丈夫です。ですが松茸のようなものは絶対にダメですよ」

2023年6月13日火曜日

加藤未唯

 全仏オープンテニスの混合ダブルスでの優勝という輝かしいトピックスもその前の別の試合で受けた失格処分の方に話題を奪われてしまった。事の経緯は様々報じられているのでテニスファンならずともご存知と思うが、不戦勝を勝ち取ろうとして執拗に抗議をした相手方の選手の行動を不快に思ったのは加藤選手の身内の日本人だけでなく、万国共通であったようだ。

審判団が協議する間、ベンチに座ってほくそ笑む二人の写真と共に「They even laugh and enjoying it! Really disgusting!」という投稿がネットに流れた。「こいつら笑ってるじゃん。ホント胸糞悪い!」とでも訳そうか。相手方選手の母国であるスペインの新聞では「同じ状況でも、ラファ(ナダル)ならそんな風に振舞わなかっただろう」と報じられたと言う。

彼女らの行動の醜さは小さな事を針小棒大に取り上げて自分に有利な状況を作ろうとした事にある。テニスの技術を競い合う事より、一試合でも多く勝って多くの賞金が欲しかったのだ。プレーよりお金が大事というのはスポーツマンシップ(スポーツウーマンシップ?)に反する。

加藤選手の方にも問題はあった。打つ方向を全く見ないでボールを打っている。いつも思うのだが、選手がボールボーイ(ガール)に返球する態度は大変失礼だ。受け取る側を見ずに無造作に放り出している。まるでボールボーイ(ガール)は人間ではないかのようだ。その慣習(?)が今回も思わず出てしまったのだろう。

逆境を乗り越え混合ダブルスで優勝したのは見事だったが、優勝インタビューにも注文を付けたい。英語は苦手なので、などと言い訳をして下手な英語でメモを読み上げるくらいなら堂々と日本語で挨拶して欲しかった。大谷翔平がいつもやってるように。

2023年6月6日火曜日

新名人

 藤井聡太新名人の誕生は谷川ファンの私としては若干淋しさの混じった複雑な気持ちで迎える事になった。というのも最年少名人という谷川十七世名人の最後の金字塔だけは何とか残って欲しかったから。それにしても見事な七番勝負だった。

新名人誕生を決めた第五局の勝利はモハメド・アリがジョージ・フォアマンを倒したキンシャサの奇跡を見るようだった。フォアマンの猛攻を耐えに耐え、その攻めが止んだ一瞬の隙をついてアリがKOを勝ち取ったように、渡辺名人の猛攻を最善の受けで凌ぎ、周りの守備駒が皆討ち死にして王様が裸の単騎で野に晒される中、相手の攻めが一息ついたその隙に歩の頭に桂馬を打ち、歩が上ずった空間に銀を打ち込むという二手のパンチで渡辺名人が投了した。

新名人が誕生した場所が藤井荘だと言うのも良く出来たシナリオだった。旅館の女将が発案し、町を挙げての誘致だったようだが、もし藤井六冠の四連勝で七番勝負が終わっていたらこの場所での名人戦は行われていなかったし、渡辺名人が二勝以上していたら決着は次の会場に持ち越されていた。ひょっとして一度負けたのはこの場所で決着をつけるための藤井六冠の深い読みだったのかとすら思えてくる。まさかそんな事はあるまい。第三局の渡辺名人の勝利は銀をタダで取らせる絶妙手の賜物だった。WBCもそうだったが、良く出来たシナリオは本当に良く出来ているものだ。

40年前谷川新名人は「一年間名人位を預からせてもらいます」と挨拶した。実際谷川の名人位は長く続かなかったが、藤井名人の時代は恐らく十年近くは続くだろう。藤井名人を相手にたまに一勝する事はあっても、番勝負で勝てる棋士がいるとは思えない。今後も感動的な名局を残してくれる事を楽しみにしている。