海底に沈んだタイタニック号を見に行こうと5人の客を乗せた潜水艇が帰らぬ物となったニュースには色々な思いがよぎった。
NHKは昼のニュースのトップでそれを報じたが、まずそれを不思議に思った。もしアメリカ中西部の田舎町での5人が亡くなる交通事故なら日本のニュースになる事ことすらなかったろう。5人が特別な人だとでも言うのか。確かに5人共大変なお金持ちであったようだが、それでもその死が世界に影響を与える訳でもなさそうだ。状況の特殊性にニュースバリューがあったのか。いくら特殊な状況と言えども、何らかの教訓を残すようなものでもなければニュースの価値はないのでは。
韓国のセウォル号沈没事件は儲け主義に走る事の危険性や、自ら状況を判断して適切な行動を取る事の重要性など、様々な教訓を与えた。そのセウォル号事件と比較して、当局の不手際や関係者の無責任さに対する怒りが沸き上がって来ないのも不思議な事ではあった。7泊8日の旅に3500万円もの大金を惜しまない人へのやっかみがあるのか。遠い場所で自分とは関係のない人が亡くなったというだけで特別の悲しみも感じなかった。
そしてまた思ったのは旅行の楽しみって何だろうという事だ。海底の廃墟と化した旅客船を見るならビデオで十分でわざわざ危険を冒してまで行こうとは思わない。宇宙旅行気分を味わうために気球に乗って空高く登る企画が2400万円で売り出されているそうだが、それも私からすると気違い沙汰に思える。旅行の醍醐味はその地その地で生きた人々の息吹を感じる事ではないか。松尾山に登って関ケ原を見下ろし、小早川秀秋の迷いに思いを馳せたり、万里の長城が山の尾根伝いに見渡す限り延々と続く様を見て、古代中国人の夷狄に対する恐怖を肌身に感じたり。