先週は上空の寒気のせいか大気の状態が不安定になり各地で天候不順が見られた。ある地では直径2,3㎝はあろうかという氷の塊が地面を叩きつけ、アナウンサーは「雹のようなものが降りました」と言った。また別の地では地上から天に向かって黒い帯が渦を巻き木々を揺らす様子と共に「竜巻のようなものが発生しました」と放映された。また別の地では大雨が地面に水しぶきをあげる様子が流れたが流石にこの時は「雨のようなもの」とは言わなかった。
どう見ても雹や竜巻であるのは確かなのに、「のようなもの」とわざわざ言うのは何故だろう。もし万が一間違っていたらまずいと思うからなのか。「のようなもの」という表現には責任逃れの匂いがする。
同じような責任逃れの匂いを、警察が犯罪者を逮捕する際の罪名にも感じる。自衛隊の射撃訓練中に起きた上官殺害事件では罪名が「殺人未遂の疑いで逮捕」とされた。二人の人が命を落としたのは明白な事実なのに、どうして殺人未遂なのだろう。他の事件でも、逮捕時の罪名は事件の本質から外れた軽微なものが充てられる事が多い。絶対間違えようのない確実な線で、との意向があって今回は「殺人のようなもの」で殺人未遂が選ばれたのか。確かに殺意の立証は捜査を待たねばならないから殺人罪の適用は尚早だとしても、各種事実から傷害致死罪は確実に問える。殺人未遂よりはまともではないか。
「のようなもの」で思い出すのは落語の艶笑小話だ。ある大店の娘が病気に伏せていたが回復に向かい、侍女が医者に尋ねる。「そろそろ松茸のようなものを差し上げても良いでしょうか」「いや、それはいけません」「お嬢様は松茸御飯や松茸の汁物が大好物なのですが」「あ、松茸は大丈夫です。ですが松茸のようなものは絶対にダメですよ」
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