最近では「観る将」と称して将棋を指す事以外の形で楽しむ人達が増えているらしい。だが私の知る範囲では、それはタイトル戦で棋士がおやつに何を食べたとか、昼食のメニューは何であったか、などに注目が集まるような、そんな将棋の本質とは無縁な所への関心で支えられているようだ。まるで音楽に関して演奏家の服装がどうであったか等に注目するかのように。これでは将棋ファン・音楽ファンというより料理ファン・服飾ファンというべきだろう。
勿論料理にも服飾にも素晴らしい要素があるから、それに感動する人がいても不思議ではないが、将棋ファンというからには将棋そのものの素晴らしさに感動する人であって欲しい。音楽の本質が音の流れにあるように将棋の本質は指し手の流れにある。そしてそれは棋譜に記録される。しかし☖4四銀☗2四歩☖同歩☗同飛☖2三歩・・・などと書かれた記号を見て感動出来るのは余程の熟練者でないと無理だろう。楽譜を見ただけで「これは名曲だ!」と感動するのが至難の技であるように。
楽譜だけからでは味わえない感動をもたらしてくれるのは演奏だが、将棋でそれに相当するのが解説だ。かつては大盤解説場まで足を運ばないと聞けなかった解説が今ではYouTubeで手軽に聞ける。かつて高い料金を払ってコンサートに行くしかなかった音楽がレコードやCDで手軽に聞けるようになったように。
そして音楽では演奏家が曲の解釈を巡って作曲家同様に独自性と創造性を発揮し「モーツァルトの40番はブルーノ・ワルターだよね」「いや僕はカール・ベームの方が好きだな」なんて会話が成立する。将棋においてもYouTuber達が解説の巧拙を競い合いその独創性を評価されるようになったら将棋鑑賞も趣味として一人前になるだろう。