読売新聞では1月20日から4回にわたって「裏金 悪弊の果て」と題して自民党で派閥のパーティ券売上が裏金として使われた問題に関する特集を組んだ。それを読んで暗澹たる気持ちになったのは、政治がまるで反社組織であるかのような印象を持ったからだ。
例えば、「大臣ポスト目指し集金」なんて見出しがあった。多額のキックバックを受けて略式起訴された谷川議員は大臣になりたくて、パーティ券を沢山売って派閥にアピールした、というのだ。組織内での自分の存在をアピールするためお金を集めて上納する、なんて反社組織のやる事ではないか。大臣になりたいのなら、そのお金で情報を集め、見識を高め、政策・構想を提言する事で自分がその任に値する人材である事を示すべきではないか。農水大臣を目指すなら、全国各地の農村を回って実情を調査し、海外の成功事例なども見聞し、農業政策如何にあるべきかビジョンを立案するためにお金を使ったらどうだ。そういうお金なら献金も沢山集まるのではないか。
もっと深刻な問題だと思ったのは、献金額の公表基準引下げが出来ないのは献金する側が公表されたくないと思っているからだという指摘だ。政治家ないし特定の政治団体と親密な関係にある事を世間に知られたくない、なんてまさに反社組織とつながっている事を知られたくない心理と同じではないか。そう言えば、選挙の際に誰か特定の候補者に投票を依頼するのもされるのも何となく後ろめたさを感じてしまうのは何故だろう。アメリカでは特定の候補者への大口献金者が堂々と持論を展開しているというのに。
どちらが卵でどちらが鶏なのか分からないが、国民と政治の関係を根本的に見直さないと、政治と金の問題は永遠にこの国の宿痾として残るのではないだろうか。