2024年1月30日火曜日

政治と反社

 読売新聞では120日から4回にわたって「裏金 悪弊の果て」と題して自民党で派閥のパーティ券売上が裏金として使われた問題に関する特集を組んだ。それを読んで暗澹たる気持ちになったのは、政治がまるで反社組織であるかのような印象を持ったからだ。

例えば、「大臣ポスト目指し集金」なんて見出しがあった。多額のキックバックを受けて略式起訴された谷川議員は大臣になりたくて、パーティ券を沢山売って派閥にアピールした、というのだ。組織内での自分の存在をアピールするためお金を集めて上納する、なんて反社組織のやる事ではないか。大臣になりたいのなら、そのお金で情報を集め、見識を高め、政策・構想を提言する事で自分がその任に値する人材である事を示すべきではないか。農水大臣を目指すなら、全国各地の農村を回って実情を調査し、海外の成功事例なども見聞し、農業政策如何にあるべきかビジョンを立案するためにお金を使ったらどうだ。そういうお金なら献金も沢山集まるのではないか。

もっと深刻な問題だと思ったのは、献金額の公表基準引下げが出来ないのは献金する側が公表されたくないと思っているからだという指摘だ。政治家ないし特定の政治団体と親密な関係にある事を世間に知られたくない、なんてまさに反社組織とつながっている事を知られたくない心理と同じではないか。そう言えば、選挙の際に誰か特定の候補者に投票を依頼するのもされるのも何となく後ろめたさを感じてしまうのは何故だろう。アメリカでは特定の候補者への大口献金者が堂々と持論を展開しているというのに。

どちらが卵でどちらが鶏なのか分からないが、国民と政治の関係を根本的に見直さないと、政治と金の問題は永遠にこの国の宿痾として残るのではないだろうか。

2024年1月23日火曜日

誕生日

私事で恐縮だが、今日123日は私の誕生日である。年男として誕生日を迎えるのはこれで6回目、還暦を過ぎて丁度一回りした事になる。皆様、誕生日はそれぞれの思いで迎えられる事と思うが、私はいつも両親が話してくれた私の誕生秘話を思い出し、私を無事生んでくれた両親やこの世界に感謝の気持ちを新たにするのである。

72年前の今日、外は雪が降っていた。急に産気づいた母に、当時30歳の父はうろたえ、近所から借りて来た大八車に母を乗せて産院へ急いだ。大八車の詳しい構造を私は知らないが、なんでも車輪を固定するために楔のようなものを嵌めこむ必要があるそうだが、慌てていた父はそれを忘れてしまった。父が語るに、いつ車輪が外れてもおかしくなかった。そんな事になれば、母体はともかく胎児の命は間違いなく失われていただろう。

産院について母は帝王切開の手術を受ける事になる。逆子であったのか、それは以前から分かっていて父が慌てた理由もそこにあるのか、そうした経緯についてはあまり聞かされなかったが、手術の前に医師が言った事は何度も何度も聞かされた。「まず、お母さんの命が一番ですからね。赤ちゃんはまた出来ますから。」子供は死産となっても仕方ない、母体の安全のためなら他を犠牲にする覚悟で処置を行う、というのだ。だが、幸いここでも私の命は救われた。

生まれて来た私は未熟児で痩せ細り、大きな泣き声を上げる事もなく、母の胸に腹ばいになったまま乳首を口にくわえていたらしい。娘の容体を心配して見舞いに来た祖母が「こぎゃん子がホンネ育つだらか」とつぶやいた事も何度も何度も聞かされた。おばあちゃん、大丈夫、ちゃんと育ったよ。しかも72歳になってもピンピンしてて、毎週テニスで飛び跳ねてるよ。

 

2024年1月16日火曜日

メール

 関東地方は年末・年始と穏やかな好天に恵まれ、能登の被災地の皆さんには申し訳なく思う程だ。年末最後のテニスは年の瀬も押し詰まった29日に行ったが、隣のコートでは大学生と思しき若者達が半袖でプレーしていた。雪も降るなら平穏無事な生活をしている場所に降れば良いものを。何も、住む場所をなくし暖房のすべも乏しいなか震えながら不安な時を過ごす人々の上に降る事はないだろうに。

時が経つにつれ地震の被害の実態が明らかになり、今回の地震の大きさと特異性に驚かされる。約30年前、阪神淡路大震災の時は自分の生涯の内、二度とこんな大きな震災には合わないだろうと思った。だがその後、東日本大震災があり、熊本地震では大きな揺れの後にそれに劣らぬ大きさの余震が来るという事を経験し、そして今度の地震では今まで見た事もない地盤の隆起があった。阪神淡路以前には耐震工学の進歩を誇らしく思っていたが、人間の慢心に警告を発するかのような地震が続く。

そんな中こんな呑気な事を書くのは少し気が咎めるが、この正月に気付いた事の一つがメールによる賀状交換のメリットについてである。数年前から親しい人を中心に葉書でなくメールに添付する形で年賀状のやり取りをする事を提案しているが、今年はだいぶそれが定着して来た。ある人は直ぐに返事をくれ、その時思ったのだ。メールのメリットは直ぐに返事が出せる事だ、と。

年賀状に近況について何か気になる事が書いてあった時、勿論葉書でも問い合わせをする事は理論的には可能だが、結構ハードルが高い。だが、メールならクリック一つですぐに様子を聞ける。通信の目的は互いの状況を知る事なのだから、その垣根がうんと低いメールがもっと使われて良いのではないかと思った次第。

2024年1月9日火曜日

地震

 元日、朝方強かった風も収まり午後になって好天気の中、窓際の日溜りに脚を投げ出しウトウトしていると突然のけたたましいアラーム音に叩き起こされた。緊急地震速報、慌ててテレビのスイッチを入れ情報を確認しながら揺れに備える。しばらくすると船に乗っているかのようなゆっくりとした揺れが襲ってきた。

テレビの地震情報が伝える各地の震度情報に驚いた。震源地の能登半島を中心に震度3以上の場所がほぼ本州全域に広がっているではないか。北は青森から南は山陰地方や四国まで。これ程広範囲に影響を与えた地震が今まであったろうか。東日本大震災でも大きな揺れは関東平野の西までだったように記憶する。M7.6だから地震の大きさそのものはM9だった東日本大震災の約百分の一程だが、揺れの周期の長さと範囲の大きさについて何らかのコメントがある筈と思ったのになかったのが不思議だった。

津波に関する報道も不思議だった。各地の津波到達予想時刻とその高さが報道される中「津波到達か」との文字が見える。津波って到達したかどうか分からない状態があるのだろうか。高さ10㎝の津波、と言うのも不思議だった。10㎝なんて台風で荒れ狂う海に比べれば可愛いものだ。それも津波というのか。一般庶民の感覚と気象庁の感覚にどこかずれがあるのではないか。「逃げて下さい」と絶叫するアナウンサーの声を聴きながら、そのずれが気になって仕方なかった。

大きな余震が何度も続く事は2016年の熊本地震で経験済みだが、「こんな事は今回が初めてです」というコメントを何度か聴いた。地球が誕生して数十億年の間には同じ事が何度も繰り返さているのだろうが、我々のせいぜい千年の記録では初めてというだけだ。これからもきっと初めての事が沢山起きるに違いない。