私事で恐縮だが、今日1月23日は私の誕生日である。年男として誕生日を迎えるのはこれで6回目、還暦を過ぎて丁度一回りした事になる。皆様、誕生日はそれぞれの思いで迎えられる事と思うが、私はいつも両親が話してくれた私の誕生秘話を思い出し、私を無事生んでくれた両親やこの世界に感謝の気持ちを新たにするのである。
72年前の今日、外は雪が降っていた。急に産気づいた母に、当時30歳の父はうろたえ、近所から借りて来た大八車に母を乗せて産院へ急いだ。大八車の詳しい構造を私は知らないが、なんでも車輪を固定するために楔のようなものを嵌めこむ必要があるそうだが、慌てていた父はそれを忘れてしまった。父が語るに、いつ車輪が外れてもおかしくなかった。そんな事になれば、母体はともかく胎児の命は間違いなく失われていただろう。
産院について母は帝王切開の手術を受ける事になる。逆子であったのか、それは以前から分かっていて父が慌てた理由もそこにあるのか、そうした経緯についてはあまり聞かされなかったが、手術の前に医師が言った事は何度も何度も聞かされた。「まず、お母さんの命が一番ですからね。赤ちゃんはまた出来ますから。」子供は死産となっても仕方ない、母体の安全のためなら他を犠牲にする覚悟で処置を行う、というのだ。だが、幸いここでも私の命は救われた。
生まれて来た私は未熟児で痩せ細り、大きな泣き声を上げる事もなく、母の胸に腹ばいになったまま乳首を口にくわえていたらしい。娘の容体を心配して見舞いに来た祖母が「こぎゃん子がホンネ育つだらか」とつぶやいた事も何度も何度も聞かされた。おばあちゃん、大丈夫、ちゃんと育ったよ。しかも72歳になってもピンピンしてて、毎週テニスで飛び跳ねてるよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿