先週原稿を書いた後大河ドラマ「光る君へ」を視ていたら、清少納言が枕草子を著す場面があり、ここでも仮名の表現に疑問を感じざるを得なかった。政争に巻き込まれて傷心の中宮定子を慰めるために着想したという設定で「春はあけぼの」のあの有名な文言が画面に映し出されたが、清少納言が本当にこの仮名文字をつかったのだろうか。
「は」は「波」を崩した字だが、古文書にでてくる「ハ」は「者」を崩した文字が殆どだ。蕎麦屋の暖簾に書かれている変体仮名がそれで、「楚者」を崩した字で「そは」と読ませている。時には「者」に濁点が付いていたりする。「の」も「乃」に派生する現在我々が使っている字が出て来るケースは少なく、「能」を起源としたものが殆どだ。
撮影時に「春はあけぼの」と筆を走らせた人は、その達筆ぶりからして当然変体仮名に通じていてそうした事情は先刻承知の事だろうから、おそらくNHKからの要請でこうした文字を選んだものと思える。せめてもの意地だろうか「ホ」の字だけは「保」を崩した今の「ほ」ではなく「本」を崩した字を書いていた。
変体仮名を覚えると色々楽しい。大東町の須賀神社には素戔嗚命が読んだ例の「八雲立つ」で始まり「その八重垣を」で終わる歌を刻んだ石碑が立っているが、最後の「を」は「越」を崩した字が書かれている。それを知ってるから、熨斗紙に書かれた「御多越留」が素直に「御タヲル」と読めた。
信州の小諸城には島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の石碑が立っているが、これが全て変体仮名で書かれていて、読むのが大変だ。明治5年生まれの島崎藤村は明治政府が定めた今の仮名とは無縁だったのだろう。それにしても明治政府が仮名文字を決める時変体仮名をベースにしてくれていたらもっと古文書が身近になっただろうに。
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