2024年6月18日火曜日

後進国

 立場の強い者と弱い者が対峙した時、公正さを担保するためには強い側に相応のハンディを課さなければならない。日常生活において、道路という公共の施設を自動車と歩行者が共用している訳だが、立場の強い自動車の方により多くの注意義務を課しているのはその一例だ。

ところが日本の司法制度はどうだろうか。一般市民と司法当局とを比べれば当然後者の方が立場も力も強いのに、注意義務や制約を負うどころか、傍若無人とも思える振舞いが許されているように見える。袴田事件の再審裁判で検察が改めて死刑を求刑したのを見てそう思った。

死刑を求刑する、というのは軽い事ではない。その人を殺して下さいと言っている訳だから。そこまで強い事を言うのは、余程その人が悪い人で、その証拠がはっきりしている場合に限られなければならないし、言う側は、もし間違っていたら私を殺して貰っても構いません、という位の覚悟があって然るべきだ。だが実際は何かランチのメニューを注文するかのような気楽さで死刑を求刑し、それが間違っていたとしても検察官は痛くも痒くもないようだ。こんな事で公正な裁きができるのだろうか。

鹿児島県警で起きた不祥事にも同じような傾向が見える。立場の強い本部長が部下をいいようにあしらっている。内部告発者を保護するための情報源の秘匿努力はどうなったのかと疑問に思ったが、実際は通報を受けた側が別件で警察の家宅捜索を受け、秘匿する余裕がなかったものらしい。家宅捜索にしろ逮捕にしろ裁判所の許可がなければ警察独自の判断では出来ない筈。警察の暴走を抑制すべき裁判所が警察の言いなりになって良いのか。

強い立場の両者が自制せずに一般市民をないがしろにするなんて、日本がそんな後進国だったとは!

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