2024年8月13日火曜日

審判

 今回の五輪ではバスケットボールや柔道の試合で審判の不可解な判定が目につく。特に柔道男子60キロ級の永山竜樹選手の負け判定はひどかった。

審判が「待て」の合図を出し、永山選手が力を抜いたのに相手のスペインのガリゴス選手は締め続けた。「待て」の合図が聞こえなかったというが、相手の選手が力を抜いているのだ、素人ならいざ知らず、オリンピックに出場する程の選手なら相手の様子から判断できそうなものだ。審判にしたって、力を抜いている選手を締め続けるなどと言う行為を6秒も放置するなんて!即止めに入らないと下手をすれば永山選手の選手生命が危うくなる事だって考えられた。状況から判断するに、ガリゴス選手は「待て」が掛かっている事を承知で審判が止めに入らないのを良い事に永山選手が落ちるまで締め続けたのではないか。

ワイドショーでは解説者が「審判への批判は選手のためならず」などと言っていたが、こんな審判を野放しにして良い訳がない。能力もなく、公正さもない審判には即刻退場して貰わないとスポーツの存在意義が問われる事になる。総じて柔道の審判は自分では判断できず、イアホンから聞こえる音声で動く操り人形に見える。それで良いのか。

試合が終わって、永山選手とガリゴス選手が仲良く肩を抱く写真が公開されたが、あれにも納得できなかった。謝罪や反省があったのなら兎も角、例えて言うなら、ガリゴス選手の行動は日本がポツダム宣言の受諾をした後も北方から攻め込んで、北方領土を領有してしまったソ連の行動に等しいではないか。日本の首相がソ連の書記長と国後島で肩を抱き合ったらどういう気持ちがするか。主張すべきは主張し、反省すべきは反省し、改善すべきは改善しないと、良い子を気取るだけではスポーツの未来は暗い。

0 件のコメント:

コメントを投稿