2024年8月6日火曜日

号泣

 柔道女子52キロ級の二回戦で一本負けし、敗者復活戦に回る事すら出来なかった阿部詩選手は、畳を降りコーチの腕に抱かれたとたん辺りを憚らず号泣した。あれだけ感情を顕わにする選手を見たのは初めてだったので、驚きもし興味をそそられたが、まさかそれが沢山の批難を浴びる事になろうとは思わなかった。

ある知り合いがフェイスブックに「日本人として恥ずかしかった」と投稿すると、それに賛同するコメントが相次ぎ、中には「欲しい物を買って貰えない子供がダダをこねているようだ」とか「いい大人が進行の邪魔をしているからUtaコールは早く出ていけの意味だった」や「あんなみっともない姿を晒す事無く、コーチが早くバックヤードに連れて行くべきだった」なんて意見もあった。

人の考えや感じ方はそれぞれだから、色んな意見があって良いとは思うが、それにしてもあの阿部詩選手の号泣が百人が百人ともみっともないと思うようなものであったとは思わない。迷惑系ユーチューバーと呼ばれる人が目を疑うような狼藉をしたのとは訳が違う。反対意見を封じるネットの魔力を感じた。

あの号泣に私が感じたのは喪失感だった。今まで何年間も努力して追い求めて来た物が一瞬にして目の前から消えた。例えば最愛の人を亡くした時のような喪失感、それが詩選手を襲ったのではないか。子供がダダをこねて泣いているなど想像だにしなかった。むしろ我が身を翻って両親を亡くした時にもあんな号泣をしなかったなと反省したものだ。

その後ネットを見ると、辛辣な批判を繰り返す東国原氏に対して「詩ちゃん苦しんでるで… やめとこうよ」「まだ言ってんのかよ あなたもいい大人ならもうおよしなさい」という意見が寄せられているとか。ネットに良心が残っている事に少し安心した。

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