2024年8月20日火曜日

不公平さ

 「審判への批判は選手のためならず」に似た文言をかつてサッカーの試合でも聞いた記憶がある。「それも含めて(審判の恣意による不公平な判定がある事も含めて)サッカーだ」と。明らかに不公平な笛が吹かれた場合でも審判への批判は止めましょう、という意味に理解した。こうした審判を絶対視する言葉は多くの場合日本に不利で、西洋人に逆らうのを良しとしないという意味で使われるように思えて、つい感情的にもなってしまうのだが出来るだけ冷静にこの問題を考えてみる。

ゲームは双方に公平である事が絶対条件だが、何らかの蓋然性で不合理な不公平さが生じるのは仕方ない。例えばテニスの場合。土のコートでは選手が激しく動き回って土の表面が乱され、それによってボールのバウンドが不規則に変化する事がある。確かにそれは一方的に不利な状況だがしかし「それも含めてテニスだ」と言うのは納得できる。時々予測不能な現象が起きて選手の能力以上に勝敗を左右するような事態もゲームによっては起こり得る。それを積極的にゲームの面白さとして取り入れたのがラグビーだ。わざわざ球を楕円形にして不規則なバウンドをするようにした。

しかしゲームとは基本的に選手の能力を競うものだから、選手の予測能力を裏切るような不規則な事象はない方が良い。ましてやその不規則性が神ならぬ人間である審判に起因するものならなおさらだ。そう、審判は人間なのだから間違いもする。ならば反省や改善があって当然だろう。審判への批判を許さないような風潮は百害あって一利なしだ。

パリ五輪で見られた開催国有利の判定は、テニスに於いて味方のコートは平滑にならし、相手のコートはわざわざ凸凹にして戦っているように見えた。そこまでしてメダルが欲しいのかと呆れるしかないのだが。

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