2024年9月10日火曜日

ドラマと言葉

 今年の大河ドラマ「光る君へ」は舞台が平安時代で、戦国・幕末・源平・忠臣蔵といった定番とは一味違い、それなりに興味深く視聴している。しかし、あの時代の人権意識はあまりにひどく、時代を忠実に再現すると色々差し障りがあるに違いない。藤原定家は藤原道長の時代から凡そ200年後の人だが、その日記「明月記」には信じられない事が書かれているらしい。例えば天災で都の人々が多数死亡した時の事、町中に死体が散乱し臭くてしようがない、なんて事が書かれているとの事。当時の貴族の一般市民への感覚はそのようなものだったのだ。

だから時代考証に対し苦言を呈しても仕方ないかも知れないが、気付いた事を二三。一つは紫式部が執筆する時の筆運びの遅さ。行書草書は素早くスラスラ書くための書体だろうから、あんなにゆっくりと書いたはずはないのだが、どうだろう。もっと疑問に思うのは内裏の人々が皆現代の標準語で話している事だ。幕末が舞台の大河ドラマでは天皇側近の貴族はみな殊更京言葉で話しているが、今回は言葉だけは現代が舞台であるかのようだ。

ドラマを見て、それはないだろう、と思った言葉の問題は半年程前の「島根マルチバース伝」でもあった。舞台が島根という事で、ズーズー弁が沢山出てくるが、これがひどい。ズーズー弁をネイティブ・ランゲッジにしている私でも字幕をオンにしないと何を言っているのか分からない。アクセントもおかしいし、もっと方言指導を徹底すべきだった。

例えば「あるかね」なんて言ってたが、これは「あーかね」と言うべきだろう。「そげなことしてたら」も中途半端。「そげなことしちょったら」だろう。「子供の紐落とし」もそれを言うなら「帯直し」だろうと思ったが、最近はどうやら帯直しも死語になったらしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿