2025年6月17日火曜日

焚書坑儒

トランプ大統領とハーバード大学の争いを見て、秦の始皇帝がやった焚書坑儒を連想した。尤も私自身、個人的にだがトランプ氏はどうしても好きになれないが、始皇帝にはどちらかと言えば肯定的な印象を持っている。

数週間前にご紹介した「ルポ トランプ王国」がなかなかの好著だったのでその続編も読み、棚の近くにあった「トランプのアメリカに住む」を手に取ってみた。「ルポ」の方の著者は新聞記者、こちらは東京大学大学院情報学環教授という立派な肩書で、ハーバード大学へ客員教授として招かれた時の事を書いている。

ところがこれがとても読みにくい。他の著作からの引用が多く、それを頭でこねくり回したような文章が続く。例えば「性」の問題についてはこんな調子。

<ウェーバーが論じたように、ピューリタニズムは神のまなざしの下での「禁欲」の倫理を徹底化し、やがてそれを近代的な資本蓄積に結び付けた。しかしそこでは「性」が思考の外に排除されていたのではない。むしろ事態は逆で「性」は思考の中心に焦点化され、婚姻関係の内部に閉じ込められたのである。だからこそその「性」がむしろ性欲とその対象との合理的な関係から再把握されることも可能だったわけだ。>

頭脳明晰な人ならもっと核心をついた明解な表現が出来るだろうに。頭悪いじゃないの、という言葉が喉の奥まで出かかった。

ともかく、こんな文章に出会うと、トランプ氏のアカデミズムに対する敵愾心や、始皇帝が

焚書坑儒を断行した背景がいくらか理解できるような気持ちにもなるのである。

 

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