前々回の当コラムでは危うくトランプ派の一味に成り果ててしまいそうになったが、あれから改めて鳥瞰的視野の元、冷静に考え直して、なんとか踏みとどまり非トランプ派の矜持を失わずに済んでいる。
まず反省したのは、報道された内容がどこまで真実なのか、という事である。報道に虚偽はないにしても、こちらの勝手な推測で事態を曲解している事はないか。例えば富士山での遭難者の殆どが規則を守らない外国人であるかのような印象を持ってしまったが、それは事実なのか。手元に確たるデータがないので断定は出来ないが、恐らく登山者の大多数は日本人であり、遭難者が登山者の部分集合である事を考えるとその割合もほぼ同じで、遭難者の大部分は日本人であるに違いない。勿論中には不埒な外国人もいるに違いないが、あくまでそれは極く一部であって、救助の有償化を推進したい自治体が世論を有利に誘導するために特殊事例を誇張しているのではないのか。
アメリカにおける不法移民にしても、その多くが消費税は勿論、所得税も払っており、福祉にタダ乗りしているのは一部に過ぎない。
一部の特例を以て全体を代表するものと誤解すると、「中国人は」「クルド人は」と言った排外的発想につながり大変危険だ。公権力が世論誘導のためにそれをやるとかつてのナチスのような悲劇を生む。確かに極く一部のユダヤ人の中にシェークスピアのベニスの商人に出てくるような悪徳金貸しがいたかも知れないが、それが全てのユダヤ人に当てはまるかのような論調でドイツ国民を間違った方向に導いた。
今眼前にある事例は全体集合の中のどの部分に位置し、それはどんな割合で分布しているのか、という鳥瞰的視野を持つ事は社会の健全性を守るためにとても重要な事ではないだろうか。
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