2025年8月5日火曜日

読書

 高校生の孫がいる。先日「おじいちゃん、夏目漱石の『こゝろ』持ってる?」と聞かれたので「勿論あるよ」と答え、貸してやった時は嬉しかった。高校の夏休みの宿題なのだろう。以前に同じ孫から小川洋子の「博士の愛した数式」があったら貸してくれ、と言われた時は持ち合わせがなくて残念だった。

読み終わって感銘を受け特に印象に残った本は本棚の目立つ場所に並べて、いつか子供達が手に取ってくれたら良いなあと長年思って来たが、悲しく寂しい事にあまり興味を持ってくれなかった。漫画は良く読むから横山光輝の「史記」とか手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」などに眼を向けてくれても良さそうなものだと思うのだが、時代が違うと興味の向きも異なるのだろうか。

そう言えば、ちばてつやの「キャプテン」や「プレイボール」は貪るように読んでくれたのに。ちばてつやの次は矢張手塚治虫ではなく「スラムダンク」が来るのが自然か。一時息子が東野圭吾に凝っていた時も、結城昌治の「ゴメスの名はゴメス」とか井沢元彦の「暗鬼」にどうして手を伸ばしてくれないかといらついたものだ。

嗜好性や考え方・感じ方というものは人によって千差万別で自分が面白いと思ったからといって他の人にもそうかというと全くそんな事はない。浄土真宗への信心の深い友人がいたので、彼に倉田百三の「出家とその弟子」を薦めたがあまり心に届かなかったようだ。私は中学生の頃初めて読んで感動した部分を手書きでノートに書き写したりした。以来、最低でも三度は読み直した程なのだが。

さて、「こゝろ」を読み終わって、どんな感想を持つか楽しみだ。感想を聞き終わったら鯨統一郎の「文豪たちの怪しい宴」を渡して、こんな読み方もあるよと紹介してやろうと思う。

2025年7月29日火曜日

関税自主権

 学校の歴史の授業で習った事なのだが、明治維新の政府は幕末に結んだ外国との不平等条約によって、関税自主権が認められず大変苦労し、その改訂に全精力を注いだと。具体的には海外から無税で入って来る安い織物で国内の産業が大きな打撃を受けた等があったようだ。

21世紀の大国であるアメリカ合衆国が同じ悩みを持っているとは驚きだ。国内の自動車産業が苦しいから他国からの製品流入を食い止めようと。尤も彼等は不平等条約などに縛られている訳ではなく、自国の関税を自分等で決める権利がある筈だから、彼等が「国内産業を保護するためにこれから関税を25%にします」と言えば、他の国はそれに従うしかないように思える。だが、事態の推移を見ると彼等の主張はあたかも他国を恫喝するかのようで、それが嫌なら何か俺達の利益になるような提案をしろ、とでも言っているかのようだ。

明治の日本政府はまだヨチヨチ歩きで、何より国内の産業育成が大事だったのは分かるが、国内にITなど先端産業や金融など強い産業を抱える大国アメリカまでもが国民が安い製品を手にするメリットを捨てて、国内の一部産業の保護育成を重視するのは如何なものか。

トランプ政権の無理難題に「はい、分かりました。」と言って今まで100万円で売っていた物を125万円にして売ってみたらどうだ。それで彼の国の市場がどういう反応を示すのか。トランプ政権の傍若無人な主張をコントロールできるのは他国の諂いではなく、主権国家としての国内の民意しかない筈だ。

極東の某首相のやけくそのような「なめられてたまるか」などと言うような強がりは何ともお門違い。そんな気持ちで行う交渉は国益を損するだけのような気もするが、さて結果はどうであろうか。

2025年7月22日火曜日

孝の終わり

 身體髮膚受之父母 不敢毀傷孝之始也

西安は碑林博物館の入り口付近の石碑に書かれたこの言葉を「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と即座に読みくだいて、そばにいた現地の中国人ガイドを「お主、やるな」という顔つきにさせた事は今でも楽しい思い出だ。

これには続きがあって「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終りなり」となる事を最近知った。あの石碑にも当然それは刻んであったのだろうが、途中で得意になって続きを読まなかったのは全くの不覚であった。この文言は「仰げば尊し」の「身を立て、名を揚げ、やよ励めよ」の原典になっているそうだが、はて本当にそれは親孝行の究極の目標なのだろうか。

確かに親にとって子の立身出世は何よりも嬉しい事に違いない。そして日本一の立身出世と言えば豊臣秀吉だという事に異論はあるまい。ならば彼の親兄弟は幸福だったのだろうか。秀吉が天下人になってからは、その家族も栄耀栄華を極め、贅沢な衣服に身を包み、多くの人にかしずかれて暮らした。しかしその生活は諸事勝手が違い、言葉使いにも注意を払い、ややもすれば蔑視を感じながらの窮屈なものではなかったか。秀吉の政権安定のため仲睦まじく暮らしていた夫と無理矢理離縁させられて敵国に人質に出されたりした事を度外視しても、決して安穏気楽な生活ではなかったように思う。

それよりか故郷の中村で粗末な小屋でボロ着を着て、方言丸出しで誰に遠慮するでなく、どぶろくを飲んでは大声で笑ったり怒鳴ったりしながら芋の入った鍋をつついている方が幸せだったのではないだろうか。

幸福な家庭の中心に必要なのは富や名誉よりも愛や慈や和などだと思うのは、立身出世とは縁のない身のひがみに過ぎないのだろうか。

2025年7月15日火曜日

イギリスの英語

 6月末から7月初めにかけて一週間程イギリスへ行って来た。色々驚きがあった中、一番の驚きはイギリスで英語が通用しないという事だった。

今回の旅行は旅行会社に航空券やホテルの予約はして貰ったものの、全て自分でやる個人旅行だった。空港からホテルまでは車が手配してあって、運転手が空港で出迎える筈との事、空港出口で探す事数分、やっと見つかった小太りの白人女性との会話が今ひとつスムースにいかない。ちょっとおかしいなと思いながら車に乗り込みホテルに向かった。

時間は午後5時半頃だというのに、外は真昼のように明るい。日没は何時頃になるのだろうかと、運転中の女性に聞いた。What’s the time of the sunset ? よく聞き取れなかったようなので改めて同じ質問をゆっくり発音してみると、548分だとの答えが返って来た。いや、そうじゃなくて、I asked the time of the sunset. sunsetを強調して聞くと、やっと10時頃だとの返事が来た。

しばらくすると彼女は車に備え付けたスマホで誰かと話し始める。その会話が全く聞き取れない。こちらの怪訝そうな様子を見て彼女が「あ、ごめんなさい。今、友達とポルトガル語で話してたの。私、5年前にブラジルから来ました」と言うのを聞いて、ようやく事情が理解できた。

ホテルに着いたら着いたで、受付の男性が強いインド訛りでまくし立てる。もっとゆっくり話してくれ、と頼んで何とか切り抜けたが、イギリスで英語がこんなに通じないとは思わなかった。

数年前やはりイギリスで湖水地方へ行った時も英語が通じなかった事を631回の当コラムで書いたが、イギリスで当たり前に英語が通じる訳ではないようだ。

 

2025年7月10日木曜日

ロンドンなう

 ロンドンなう。

物価の高さに驚く。いつも近くのスーパーで1980円で買っているジャックダニエルが33ポンド、ホテルの売店ではビール小瓶が約1000円。パブでのギネスは1/2パイント2杯で7.7ポンドでした。(羽田での交換レートは1ポンド=213.6円)
2人、飲み物の画像のようです

ロンドン旅行:2

 センターコートの試合が始まる前にコート12でティアフォーの試合を観戦した。日本に帰ってビデオを再生するとちゃんと自分が映ってる。(試合のシーンを早送りして、観客席が出ると一時停止して視るなんて、いけない視方かな?)



ロンドン旅行:1

 今回のロンドン旅行の目的はウィンブルドンでのテニス観戦。アルカラスの試合を見たくて初日のセンターコートを予約しました。いつもテレビではコートを縦に見ているのでボールのスピードをそれ程感じないが、真横からみると滅茶苦茶速い。あんな球を打ったら手が痺れるよ!サーブのトスは思った以上に前方に挙げている。これは早速まねしなきゃ!!

1人、テニスをしている、アメフトをしている、テキストの画像のようです