2015年5月12日火曜日

執念と美学

松江で将棋の名人戦が行われた。それで思い出したが電王戦FINALにはいろいろと考えさせられた。プロ棋士の勝利への執念と、あれほど強力に見えたコンピュータの意外な弱点とである。
プロ棋士がコンピュータの挑戦を受ける電王戦は過去三回戦われ、いずれも負け越したプロ側は今回こそは絶対に負けられないとの気負いがあったのか、将棋の本筋とは違うところでのコンピュータの弱点を研究し、それを利用しての勝利だった。
将棋の奥義をきわめるというよりも、勝ち負けにこだわって小細工を弄したようなその姿勢には若干の違和感があった。対局者自身も「葛藤はあった」と認めている。いわゆる嵌め手に属するもので、一見おいしそうな手をおとりに罠を仕掛けたのだった。詳しい手順はここでは書けないが、正々堂々と戦ったのでは勝てないとプロ棋士が認めたような内容だったと思う。
勝負事だから勝ちを目指すのは当然の事だろうが、過度に勝敗にこだわるとちょっと醜さを感じてしまうのは何故だろう。不利な局面でも最後まで諦めずに全力を出し切る美しさと、醜いこだわりを分けるのは、終わった後お互いを称え合う気持ちが残るかどうかだ。
いつだったか囲碁の世界大会で韓国選手が大石を取られどうやっても勝てない局面で、相手の切れ負け(持ち時間がなくなると負けるというルール)を狙って、勝敗に直結しないヨセを打ち続けたことがあった。そこまでやると試合後に握手をする気持ちがなくなるのではないか。
谷川浩司十七世名人の将棋には美学があり、局面が不利になって回復の見込みがなくなると潔く首を差し出し、相手の綺麗な勝ち方を演出するような指し方をする事がある。こちらはもっと粘って欲しいのに。
コンピュータの弱点については次回に。

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