2015年5月5日火曜日

仕事と報酬

「町村議選で定数割れ続出、報酬割り合わぬ」との見出しが新聞に載った。だから報酬を上げようというのだが、しかしそもそも報酬を目当てに議員になろうとする人を信用して良いものか。綺麗事だと言われるかも知れないが矢張り高い志を持って使命感に後押しされてなるものであって欲しい。
職業に貴賎はないというのは当然の事であるが、仕事には報酬を目当てにするものとそうでないものとがあるように思える。例えば芸術家などは報酬を目当てにしている人はおそらく誰もいないだろう。絵を描きたい、美しい音楽を奏でたい、そういう内なる欲求に動かされて画家になったり音楽家になったりするはずだ。プロのスポーツ選手は若干微妙なところがあるが、お金目当ての人は概して大成しないのではないか。
一ヶ月くらい前だったか世界卓球選手権で優勝し、優勝賞金の額を聞いた伊藤美誠選手のあどけない表情が印象的だった。中学生にしては大金であるその賞金が彼女の目標であったはずもなく、ただ強くなりたい、良い試合をしたいという一念だったからこそ頂上に立つことが出来たのではないか。報酬は結果であって目標ではないのが一流選手の常道だろう。
お金がインセンティブの第一順位でない姿は理想的だとして、世の中には報酬がなければやりたくないような仕事があるのも事実だ。ある意味苦痛の代償として報酬を得るような仕事だが、政治家がそういう種類のものであって欲しくはない。昨今日本のマラソン界が不振で、選手達を鼓舞するため日本新記録を出した人には一億円の賞金を出すことに決めたそうだ。瀬古や中山の時代には考えられなかった事。お金に頼らざるを得なくなるのはその世界の衰退の表われだ。やむを得ないのかも知れないが何か淋しい。

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