2015年4月28日火曜日

無投票

統一地方選で多くの無投票が発生しているという。立候補者数が定数に満たないためだそうだが、投票行為は民主主義の基本をなすものだからそれが出来ないというのは大変憂慮すべきことではないか。如何なる場合においても投票は必ず行われるべきだという発想の元であるべき制度を考えて見た。
投票には良いと思う人を選ぶという機能と、信任するかしないかを表明する機能とがある。総選挙の際に行われる最高裁判所の裁判官に対する国民審査は後者の機能を制度化したものだ。昨今、カラ出張によって政務活動費を詐取するような県会議員がいたり、国会の本会議をサボって遊び呆けるような国会議員がいたり、議員としての適格性が問題になるような事件が散見されると、この人だけは議員にしたくないという住民の声を選挙に反映したくなる。
現在の制度では「この人を議員にしたい」というプラスの投票しか出来ないが、「この人だけは議員になって欲しくない」というマイナスの投票も出来るようにしたらどうか。そしてマイナスの票の方が多いような候補者がいたら、仮に全体として定数に達していようがいまいがその候補者は議員にしてはいけないと思うがどうだろうか。そういう制度になれば立候補者数の多寡にかかわらず投票は必ず行われるようになる。そうした過程を経て選んでこそ真の選良と呼ぶに相応しいのではないか。
ただ、そうするとますます立候補者数が減って、定数に満たないケースが多発しそうだが、そもそも定数とは何か。どういう根拠で決められているのか。議員の数が少ないとどんな問題が発生すると言うのか。議員のなり手不足は議員報酬が少ないからだ、という議論もあるようだが、報酬に釣られて議員になるような人が多くなると、その方が余程問題ではないか。

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