田舎に帰って同窓会に参加して何十年ぶりかに同窓生に会い想い出話しに花が咲いて、だけどその友人の口から流れ出るのが出雲弁でない時、何とも言えず淋しい気持ちになる。方言で話してくれたらもっともっと打ち解けて一体感も増し会話が弾むだろうに。友人が出雲弁を話さないのは出雲弁が話せなくなってしまったからなのか、それとも出雲弁を恥ずかしいとでも思っているのだろうか。どちらにしても淋しい限りだ。
学校を出て長い間田舎を離れたという人でなくとも方言はどんどん下火になっているようだ。友人の会社に勤める若い女性の話す言葉を聞いて思わず「貴女は都会から来たのですか」と聞いてしまった。地元の出身で今でもおばあさんから三世代同居していると聞いて、おばあさんが御健在なうちに出雲弁をしっかり習得して下さいね、とお願いしておいた。スーパーでレジを打っているかなり年配のおばさんまでもが標準語で受け答えしている。もっともこれは全国チェーンの指導が入っているだろうから仕方ないか。
方言を出来るだけ残したいと思っている時困るのが適切な表記の方法がない事だ。「い、のんか」の「い」は湯の事だが、やっぱり「い」と書いてしまっては台無しだ。「うちの」を表す「おちん」も表記に困る。「我が社」の事を「おちん会社」と言うくらいならまだ誤解は少ないだろうが、「我が家の子」を「おちん子」と書いてしまうと、出雲弁を全く知らない人は字面だけ見て男性の大事な部分を息子と言う世俗的慣用表現を出雲でもそのまま方言として使っていると誤解してしまう人がいないとも限らない。「い」と「う」の中間の曖昧母音を表す文字やイントネーションも伝えることの出来る表記方法があればいいのだが。
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