2015年7月28日火曜日

履行責任

前回の投稿に対してあるゼネコンの関係者からお叱りを頂戴した。新国立競技場の見積は赤字覚悟の大出血サービスなのに利益の上乗せとはとんでもない、と。マイナスの利益を上乗せしたという事で論理的には間違ってない、と言っても納得してくれない。ここでは前回の「経費や利益を上乗せして」の部分は「経費や利益を加味して」ないし「考慮して」に修正して頂く様、平伏してお願いする次第である。
本件に関し、ハディド氏側が損害賠償を請求してくるのではという報道があるが、ちょっと首を傾げたくなる。一連の騒動で損害を蒙ったのはハディド氏側ではなくむしろ日本国の方ではないか。当初のコンペの条件である1300億円で建設が可能であれば何もこんな問題は起きなかった。ハディド氏の提案がとても予算内では収まらないものであったからこそ関係者一同が迷惑を蒙っているわけで、本来ならハディド氏が自分の案を予算内で建設する業者を探してきてきちんと実現するのが筋というものだ。
国際的な大型案件の入札に際しては入札者が責任を持って契約を履行するために入札保証(ビッド・ボンド)や契約履行保証(パフォーマンス・ボンド)を求められるのが一般的だ。応札額の一定割合を保証金として差し出し、もし何らかの理由で契約が履行できなくなった時にそれが没収される仕組みだ。また工事期間中に生じる様々なリスクに対して保険をかける事も要求され、技術力や実績の乏しい企業ではその保険料がコストを押し上げて競争力のあるプライスが提示できなかったりする。
設計コンペでも当然同じような仕組みがあると思うのだが、それをしていなかったとしたら発注者側のプロジェクト・マネージメント能力に問題があったように思う。

2015年7月21日火曜日

物の値段

物の値段の事を英語では普通プライスという。新国立競技場の計画で「コストが・・」と言われる中、本来「プライスが・・」と言うべきものもある。コストとプライスを混同するのは建設業界の悪弊で、要するに両者が単純に連動しているからなのだが、2520億円というのは建設のコストに業者の経費や利益を上乗せしたプライスである事は言うまでもない。
プライスの決まり方については三つの基準があって、コスト基準、バリュー基準、マーケット基準だというのがビジネス・スクールで教える事柄だ。
コスト基準は分かりやすい。作るのに100円かかるから経費や利益を上乗せして105円のプライスにする。バリュー基準の極端な例は巨匠の絵画などで材料費は100円でも作品はその価値から値段が一億円になったりする。メーカーがブランド・バリューの向上を目指すのもまさしくバリュー基準のプライスを高くしたいからに他ならない。マーケット基準は農産物などが良い例だろう。農家が汗水たらして100円のコスト作ったキャベツが豊作過ぎて50円の値段しかつかなかったりする。
世の中の値段は大体上記で説明がつくが、長距離バスの値段はどう説明すべきか良く分からない。先日東京から大阪経由で出雲に帰省し、数日後に出雲から東京まで直行の夜行バスに乗った。値段は東京から大阪まで2800円、大阪から出雲が5800円、出雲から東京が4000円だった。運転手の数は大阪から出雲だけが一人、他は二人。サービスも大阪出雲便が一番悪かったように思う。
それにしても新国立競技場の白紙撤回の際に森元首相がこぼした愚痴「たった2500ぽっちが出せないのかねえ」には驚いた。大物ぶりたいのか、バリュー基準なら適正なプライスだと言いたいのか。その感覚が一千兆円の国債を生んだのだ。

2015年7月15日水曜日

例え話

安保法制を巡る安倍総理の例え話が今一つピンと来ない。集団的自衛権を説明するのに「不良が友人のアソウさんを殴ったら私はアソウさんを守る(つまりアソウさんと一緒に不良と喧嘩する)」という例えは如何なものか。まず相手の国を不良に例えるのもどうかと思うし、相手が国なら喧嘩になる前に様々な折衝、外交があるはずでいきなり喧嘩になるはずもなく、仮に万が一喧嘩になったとしても先ず最初にやるべきは止めに入る事ではないか。
例えば、家族で平和に暮らしている家があって、そこに強盗が押し入ろうとして玄関の鍵を壊しているのを隣の住人が見咎めて制止しようとしたのに、強盗がその人を殴りつけたら、その家の人は当然隣の人と一緒に強盗と戦うだろう。そういうのが集団的自衛権だと思うのだが、その例え話では地域的制約がかかってしまうから駄目なのだろうか。でも自衛というからには地域的制約は必須のように思う。守るべき家族から遠く離れた場所で友人と一緒に喧嘩するための理屈はなかなか難しい。
存立危機事態というのも説明が苦しい。ホルムズ海峡の封鎖が話題になるが、それを例え話にするなら「いつも買い物に言っている近くの安売りスーパーへ行く道が、あるデモ隊のバリケードで封鎖されてしまったので、高校生の息子を連れてバリケードを撤去しに出掛ける。場合によっては現地でのイザコザで息子が大怪我をするかも知れないけど」という事になろうか。もしそんな事になったら私なら遠くても別のスーパーへ買い物に出掛ける。原油はベネズエラからでも買える。豪州やインドネシアからLNGを買ってもいい。ちょっとくらい高くでもいいじゃないか。場合によっては少々我慢をしたって、命の危険を冒してまで喧嘩するよりマシだとは思わないか。

2015年7月7日火曜日

ギリシャ

この原稿が新聞に載る頃にはギリシャの国民投票の結果も出ているだろう。借金をした相手が国内か海外かの違いはあるが、日本も同じように多額の借金をしている事を考えると、今ギリシャで起きていることが将来日本でも起きるかも知れないという思いがあってギリシャから目を離せない。
ギリシャが悪い、いやEUの方も問題だ、と様々な議論がマスコミで展開されている中、そもそも財政の脆弱なギリシャがどうしてユーロに加盟する事ができたのかについてはほとんど報道されていないが、あるメル・マガで偽装の実態を知った。
ゴールドマン・サックス傘下のヘッジ・ファンドが提案したとされる財政偽装は以下の通り。ギリシャがヘッジ・ファンドに担保として差し出た国債の倍の額をヘッジファンドがギリシャに貸し付ける。債務の支払に将来の税収や国有空港の使用料などを充てる約束を交わす。これにより発行した国債の倍をギリシャは手に入れ、差額を政府収入として財政赤字を偽装し加盟条件をクリアする。
ヘッジ・ファンドの怖さはその後で、偽装がバレた時に備えてあらかじめCDS(クレジット・デフォルト・スワップ。一種の保険)を買っておいて、それが高騰したときに売り抜けて巨額の利益を得たとか。メル・マガの作者は「生命保険をかけた殺人のようだ」と言っている。どこまで本当かは分からないがいかにもありそうな話だ。
金融機関は怖い。時々仕組み預金の誘いが来るが、あれなど「賭けをして勝った時は儲けを折半しましょう。負けた時は全部貴方の負担ですよ」と言っているような商品だ。それを承知で買うのならいいが、窓口で売っている女性は高金利の良い商品だと信じている善意の塊だから猶更怖い。金融リテラシーは現代人にとって必須のものだと思う。