物の値段の事を英語では普通プライスという。新国立競技場の計画で「コストが・・」と言われる中、本来「プライスが・・」と言うべきものもある。コストとプライスを混同するのは建設業界の悪弊で、要するに両者が単純に連動しているからなのだが、2520億円というのは建設のコストに業者の経費や利益を上乗せしたプライスである事は言うまでもない。
プライスの決まり方については三つの基準があって、コスト基準、バリュー基準、マーケット基準だというのがビジネス・スクールで教える事柄だ。
コスト基準は分かりやすい。作るのに100円かかるから経費や利益を上乗せして105円のプライスにする。バリュー基準の極端な例は巨匠の絵画などで材料費は100円でも作品はその価値から値段が一億円になったりする。メーカーがブランド・バリューの向上を目指すのもまさしくバリュー基準のプライスを高くしたいからに他ならない。マーケット基準は農産物などが良い例だろう。農家が汗水たらして100円のコスト作ったキャベツが豊作過ぎて50円の値段しかつかなかったりする。
世の中の値段は大体上記で説明がつくが、長距離バスの値段はどう説明すべきか良く分からない。先日東京から大阪経由で出雲に帰省し、数日後に出雲から東京まで直行の夜行バスに乗った。値段は東京から大阪まで2800円、大阪から出雲が5800円、出雲から東京が4000円だった。運転手の数は大阪から出雲だけが一人、他は二人。サービスも大阪出雲便が一番悪かったように思う。
それにしても新国立競技場の白紙撤回の際に森元首相がこぼした愚痴「たった2500ぽっちが出せないのかねえ」には驚いた。大物ぶりたいのか、バリュー基準なら適正なプライスだと言いたいのか。その感覚が一千兆円の国債を生んだのだ。
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