2015年7月15日水曜日

例え話

安保法制を巡る安倍総理の例え話が今一つピンと来ない。集団的自衛権を説明するのに「不良が友人のアソウさんを殴ったら私はアソウさんを守る(つまりアソウさんと一緒に不良と喧嘩する)」という例えは如何なものか。まず相手の国を不良に例えるのもどうかと思うし、相手が国なら喧嘩になる前に様々な折衝、外交があるはずでいきなり喧嘩になるはずもなく、仮に万が一喧嘩になったとしても先ず最初にやるべきは止めに入る事ではないか。
例えば、家族で平和に暮らしている家があって、そこに強盗が押し入ろうとして玄関の鍵を壊しているのを隣の住人が見咎めて制止しようとしたのに、強盗がその人を殴りつけたら、その家の人は当然隣の人と一緒に強盗と戦うだろう。そういうのが集団的自衛権だと思うのだが、その例え話では地域的制約がかかってしまうから駄目なのだろうか。でも自衛というからには地域的制約は必須のように思う。守るべき家族から遠く離れた場所で友人と一緒に喧嘩するための理屈はなかなか難しい。
存立危機事態というのも説明が苦しい。ホルムズ海峡の封鎖が話題になるが、それを例え話にするなら「いつも買い物に言っている近くの安売りスーパーへ行く道が、あるデモ隊のバリケードで封鎖されてしまったので、高校生の息子を連れてバリケードを撤去しに出掛ける。場合によっては現地でのイザコザで息子が大怪我をするかも知れないけど」という事になろうか。もしそんな事になったら私なら遠くても別のスーパーへ買い物に出掛ける。原油はベネズエラからでも買える。豪州やインドネシアからLNGを買ってもいい。ちょっとくらい高くでもいいじゃないか。場合によっては少々我慢をしたって、命の危険を冒してまで喧嘩するよりマシだとは思わないか。

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