先月下旬国士舘大学で「スカルノ国際共同研究発会式」という催しがあり縁あって参加した。インドネシアの初代大統領スカルノの業績研究を通してアジア近代史への理解を深めようというもので、当日はスカルノ大統領の御長男、その娘で現在インドネシアの国会議員であるプティ・グントゥール・スカルノさんなどが出席した。
第一部は大教室での講演会。国士舘大学の教授によるスカルノの業績紹介やプティさんによる記念講演などが行われた。スカルノの業績の第一は何と言ってもインドネシアの統一と独立なのだが、一九五五年のバンドン会議も忘れてはならない。周恩来やネルーなどアジアの指導者を集めた会議で、スカルノはそこに日本の代表も呼んだ。当時はまだ第二次大戦の記憶も生々しい時期。うっかり顔を出せば参加国から袋叩きにあうのではないかと、疑心暗鬼の日本政府は当時の経済企画庁長官高崎達之助を代表として送った。おっかなびっくりの高崎はしかし大歓迎を受ける。この時の周恩来との縁で高崎は日中国交回復に活躍することになる。
第二部はラウンジに場所を移して立食パーティ。プティさんは気さくな方で私とのツーショットにも気軽に応じてくれた。招待客が入れ替わりスピーチに立つ中で印象に残ったのはプティさんの同僚議員のスピーチで、もしスカルノがいなかったらカリマンタンはインドネシアになっていなかっただろうというもの。多民族が割拠する島嶼国家を一つにまとめるのは大変な事だったろう。
最後の締めくくりのスピーチでプティさんはジャスメランという言葉を紹介した。これは直接的には赤い背広という言葉だが、歴史を忘れないという意味が含まれるそうだ。プティさんは日本は歴史を忘れないで戦後復興を果たした、と言った。インドネシアの日本に対する敬愛を感じる言葉だった。
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