阿波踊りは日本一の祭りと言っていいと思う。祇園祭にしろ東北の三大祭にしろ見るだけのものだ。岸和田のだんじり祭は何代も地元に住む人でないとだんじりを引かせて貰えないと、岸和田に新居を構えた友人から聞いた。その点阿波踊りは誰でも参加できそれなりに楽しめる。青い目の外人さんが見よう見真似でぎこちなく手足を動かしていたりする。平田の天神祭もちょっとでいいから一式飾りを製作する喜びに接する仕掛けを考えたらどうだろうか。
この夏徳島市内在住の先輩からお招きを頂き、阿波踊りを実体験する幸運に恵まれた。かつて所属した会社の企業連の一員となって、紺屋町演舞場を踊り歩いた。
営業所で浴衣に着替え白足袋を履いて腰から印籠をぶら下げ鉢巻を締めて出番を待つ。駐車場で営業所長から踊りの特訓を受けて阿波踊りが人間の阿呆を追及した文化芸能だと思った。
阿波踊りの基本動作はどうしたら人間を阿呆に見せることが出来るかという点から成り立っている。凛々しい丈夫ならば仁王立ちが似合うが阿波踊りではがに股でへっぴり腰に構えないといけない。脇を締めるのは相撲に限らず多くのスポーツの基本だし、何か大事をなそうとする時の比喩に使われたりするが、阿波踊りでは隙だらけに脇を開け両手を肩以上にして構える。しかもその姿勢から前に進むときは手足を右、左と同時に前に出す。これは時に映画などで精神に障害のある人を表現する為に用いられる動作だ。
こうして徹底的に阿呆を強いられた基本動作からしかし、卑屈さは微塵もなく、有名連の人達の踊る姿は伸びやかで楽しそうで崇高さすら感じさせる。阿波踊りのこの奥深さは一体何だろう。
阿呆である事はかくも素晴らしい事なのだと示して見せた大衆の知恵と生命力の偉大さにただ脱帽するだけだった。
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