2015年11月24日火曜日

権威

東京目白台にある細川家ゆかりの永青文庫で春画の展示会があるというので行ってきた。十八歳以下の方は入場出来ません、と大書してある入口のあたりから混雑が始まっている。中年の男性が鼻の下を長くして来るのは分かるが、総じて女性の方が多い印象で、立派なお召し物を身にまとい「ホ、ホ、ホ」と言う声が似合いそうな御婦人方の団体がいたりするのには違和感を禁じえなかった。
この展示会のチケットには「世界が、先に驚いた」とのキャッチコピーが載っている。そう、大英博物館で同様の展示会があり好評を得たというのが一つのうたい文句になっている。蓋し今回のこの人気ぶりもその権威によるところが大きいのだろう。
だがちょっと待って欲しい。英国人が日本の春画を見るときの思いと、我々が見るときの思いとでは随分違うのではないか。例えばマリー・アントワネットが輿入れの際マリア・テレジアから渡された夜の心得などがあったとして、それを日本で展示するのであれば異文化への興味と言った観点からの鑑賞も可能だろう。大英博物館が驚いたのはワビサビの日本文化との落差であって、「性器の大胆で生々しい表現の一方、毛筋や着物の文様など繊細な描写も見どころ」なんて事を彼の国の紳士淑女達も思ったかどうかはなはだ疑わしい。
権威が人を呼ぶ、といえば二年前直木賞を取った「ホテルローヤル」を思い出す。この本は北海道のある町のラブホテルを舞台に男女の秘め事を描いたものだが、作者の出身地である釧路でのサイン会には多くの御婦人が列をなした。下手をすれば教育委員会から有害図書の指定を受けてもおかしくないような内容なのに、小学生の子を持つお母さんが嬉々としてサインをねだる姿は異様としか思えなかった。
権威の前に自らの判断を放棄するのは民主主義を危うくする。それを肝に銘じたい。

2015年11月17日火曜日

報道

横浜のマンションの杭の施工不良に関する事件、下請の杭打ち業者だけが矢面に立たされ、どうして発注者や設計者や元請業者の取材がなされないのか不思議でしかたなかった。ようやく十一月十二日の新聞の片隅に「三井住友建設が謝罪」という小さな記事が出た。最初にこの事件が新聞紙上に出たのが十月十五日だから約一ヶ月たっての事だ。
そもそも施工品質に関し第一義的に責任を負うのが元請業者であるのは常識であるはずだし、事件の原因として、ボーリングなど事前調査に不備がなかったのか、設計や契約内容に瑕疵がなかったのか、そういったことを追求するのが報道機関としての役割ではないのか。
謝罪の会見が中間決算の発表の場を借りての事だったり、そこでの発言が「管理を日々行う過程で落ち度はなく、裏切られた」などと、自らの無能さ無責任さを認めるかのような元請会社の能天気さにも呆れるが、それを積極的に取材追及しない報道陣にも苦言を呈したい。
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏に関してもようやく最近になって「政治手腕は未知数」などと若干否定的とも言える記事を目にするようになった。日本のマスコミは今まで軍事政権が悪玉で彼女が善玉であるという単純な構図で報道してきた。ネットで流れる情報を見ると、マスコミが意図的に隠蔽しているかのような話が沢山ある。
実際に彼女に接した人の話として「あれほど嫌味なおばさんはいない」とか、軍事政権が西欧など外国の影響を排除しようとする努力や、彼女がアメリカの傀儡である事を示す物証などが記事になる事はない、と言った話がネットには流れている。
どちらが正しいか半年もすれば明らかになるのだろうが、新聞はもっと的確かつ公平広範な視点で記事を作ってもらいたいものだ。

2015年11月10日火曜日

台湾人

シンガポールでの中国と台湾の首脳会談は歴史的握手として報じられた。そんな中、台湾で「貴方は中国人ですか台湾人ですか」とのアンケートが行われ、「台湾人であり、中国人ではない」と答える人が多数を占めたとあるニュース番組が伝えていた。それを見て五年前に福島は会津の近くにある大内宿での経験を思い出した。
三澤屋という老舗の蕎麦屋で名物の高遠蕎麦(会津でどうして高遠なのか、店の主人に聞いたがその謂われをここで書く余裕がない)を食べながら隣の夫婦の会話が気になった。中国語のようであり、どうもちょっと違う。朝鮮語でないのは明らかだ。顔つきは東アジアの顔に間違いない。思い切って覚えたばかりの中国語で話しかけて見た。「ニンシー チュンゴォレン マ」(貴方は中国人ですか?)すると驚いたような戸惑いを見せた後、しばらくの間をおいてゆっくりと明確な答えが返って来た。「ブー シー」(違います)
以下ブロークンな英語で情報交換した内容は、彼等は香港からやって来て、彼等が話していたのは広東語だ、との事。日本で教えられている北京語と広東語とは大きく違う。例えば「玉木」は北京語では「イームー」と発音するが、広東語では「ヨッモッ」だとか。ギョクモクは広東語に近い。
香港人の中にも自分を中国人とは思って欲しくない人がいるらしい。台湾に関しては三十年程前の驚きが忘れられない。
台湾の友人に招かれて台北を訪問し彼の家族と会食をした。その中で彼の姉が盛んに「私たち」という言葉を使う。戦前の生まれとおぼしき彼女は日本語を流暢に話した。文脈からどうも良く理解できないので「私たちってどういう意味ですか」と尋ねると彼女は憤慨したようにこう言い放ったのだった。
「何言ってるの、私たち日本人のことよ!」

2015年11月3日火曜日

杭打ち工事

横浜のマンションで起きた偽装事件、マスコミはすべて「杭打ち工事」とか「杭を打つ」という表現を当たり前のように使っている。そう、元々杭は「打つ」ものであって「挿し込む」ものではなかった。もし従来どおり杭を打っていたなら今回のような問題は起きなかったのではないだろうか。
かつて杭打ち工事は建築工事の象徴的存在で、「カーン、カーン」と杭を打つ音が空き地に響くといずれその辺りの風景が一変するだろう事を予測させた。だがその音はいつしか騒音公害の代表となり、音のしない工法が開発され今日に到っている。
それでも最後は杭が支持層に達した事を確認するため杭の頭を叩くものだと思っていた。音を嫌うなら上からジャッキで押す方法もある。もし上から加力してまだズブズブ沈み込むような状態だったら、いくらなんでもそこで止める事はしなかっただろう。それとも所定の長さの杭を布設すれば良いという契約だったのか。そうならボーリング調査の不備、設計や契約の瑕疵が問題にされなければならない。いずれにしろ発注者や設計者、元請が出て来て真相を明かすべきだ。
現場管理者が責められるべきは書類の偽装もさることながら、支持力の最終確認を怠った事で、即物的に実態を確認する事より、書類の整合性を重視するのは官僚主義の弊害だ。
姉歯の耐震偽装事件以来、関連法規が強化され管理者が処理しなければならない事務作業が大幅に増えたそうだ。そのため元請の社員が書類作りに忙殺され、本来行うべき現場の巡視に時間が取れないという事態もあるらしい。
今回の事件でまた監視と規制が強化されるのだろう。そして一層管理のための書類が増え、本来の実態管理がおろそかになってしまう事を危惧する。