自分の生まれ育った家が河川工事のため解体撤去されるという事件は少なからず私の人生観に影響を与えた。その話はかなりの昔から予定されている事だった。私が中学生の頃から、つまり五十年くらい前から母は「どうせいつかここは川になる」と口癖のように言っていた。子供心に「ああ、そうなんだ」と思いながら、だがそれはいつ来るか分からない遠い将来の事のようだった。まるでいつ来るか分からない自分の死のように。
事態が急転したのは一昨年の事、春に近隣住民を対象にした説明会が開かれ、そこで工事の概要と移転の時期が具体的に示された時だった。いつかは来るとは思いながら、いつ来るか分からなかったものが、いきなり何年何月と期限を切られると、まるで医者から余命何年と宣告されたような気分になったものだ。
その時から自分の人生が有限のものであることを改めて痛感した。本棚に並んでいる本を眺めて「この本は多分死ぬまで読まないだろうなあ」などと思い始めたのもその頃だ。かつては人間にとって死が不可避なものである事を観念的には分かっていても、自分の人生は無限にあるような気がして、ちょっと面白そうな本があると「いつか読もう」と思って気軽に買っていた。そうした本が本棚に並んでいる。そしてその「いつか」は恐らく来ない。
自分の人生の有限性を実感すると、物に対する執着がなくなってくる。部屋の片隅に溜まった物をゴミとして出すことが快感になる。雑巾は洗わない。一度使って使い捨て。何故ならちょっとくたびれたタオルや下着など雑巾予備軍がわんさか控えているからだ。
ミニマリストという生き方にこの頃関心がある。いつかそれを実践して何か御報告できたら、と思う。
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