2016年1月5日火曜日

断捨離

あけましておめでとうございます。本年も変わらずの御愛顧をお願い申し上げます。
最近あまり聞かなくなったが「断捨離」という言葉がはやった事があった。流行に流されるのが嫌いなのと、良く見ると結局何かを売りたい下心が見え見えで、あの頃は歯牙にもかけなかったが今年は断捨離を余儀なくされそうだ。
平田の実家が河川工事のため立ち退きを迫られているからで、帰省の度に古い布団や両親の衣類などを出雲のエネルギーセンターに持ち込み、1キロ5円で引き取って貰っている。母の衣装でまだ着れるのではと思うものは古着屋に持っていくと、こちらは1キロ1円で買ってくれる。先日は衣装箱五箱を持ち込んで合計21キロ、21円を貰った。母が買うとき支払ったお金を想像するとちょっと悲しくなった。
平田の物を処分し始めると、埼玉の家にも不要な物が溢れているように見える。これらがなくなったらもっと気持ちよく暮らせるかもなあ、と。物と豊かさの関係はちょっとパラドックス的な関係にあるのではないか。物が多いほど貧しく、豊かな生活ほど物が少ないように見える。
かつて東西冷戦の頃ソ連がプロパガンダ映像としてアメリカのスラム街の様子を国内に流した。資本主義社会の矛盾を知らしめようとしたのだが、それを見たソ連国民はロープにつるして干される下着の数に驚き「アメリカでは極貧の人でもあんなに沢山の下着を持っているのか」と政府の思惑とは真逆の印象を持ったという逸話が残っている。
今でもテレビニュースで貧しい家庭が映ると部屋の中が雑然と物で溢れているケースが多く、住宅の宣伝やドラマで出てくる上流家庭の部屋は逆に物がうんと少ない。
物を捨てれば捨てるほど豊かになれるのだ、そう信じて断捨離を実行するしかなさそうだ。

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