2016年1月26日火曜日

無駄使い

今月十日の新聞に五輪エンブレムの候補が選ばれたとの記事が載った。見出しには「最終四候補 類似調査後に公開」とある。記事を読んでいくと「最終候補四点の商標調査には計八千万円かかる」らしい。どんな事をするのか知らないが、候補作品をすぐに公開すれば、類似調査はネット社会があっという間にしてくれるだろう。八千万円は無駄にしか思えないし、公開を遅らせる意味や目的がどうしても理解できない。
五輪の水泳や球技の競技場建設の予算が当初より何倍にも跳ね上がっているという報道にも疑問を感じる。五十年前の東京五輪の水泳と球技の会場は丹下健三による素晴らしい施設で行われた。今回建設される新国立競技場に関しては盛んに「レガシー」という言葉が使われるが、あの丹下作品こそまさに「レガシー」と呼ぶに相応しいものだった。それを今度使わないというのはどういう理由からだろうか。
「レガシー」という言葉を英英辞典で引いてみると「(死んだ人から貰う)遺産」とか「過去から引き継いだもの」として「植民地政策の遺産」などの用例が載っている。必ずしも価値あるものには限らないようなのだが、でも来る東京五輪のために建設する施設を「レガシー」にするというのは価値あるものを作りたいという決意表明だろう。しかし代々木にある丹下作品を凌駕する「レガシー」を残すのは容易ではないと思われる。その最高級の「レガシー」すら生かされないという事は、今回作る「レガシー」も将来はお払い箱になる運命だとしか思えない。
今回の大会だけのために作る施設なら、サーカス小屋のような仮設で済ませ、万博のように会期が終わったら解体撤去するのも一つの方法ではないか。そうすればその運営方法こそが「レガシー」になるかも知れない。

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