新年度を迎え入社式や入学式の様子が伝えられている。東京工業大学では新入生を歓迎する学長の挨拶が英語で行われたそうだ。英語教育に力を入れるのは結構な事だとは思うのだが、ちょっと違和感を禁じえなかった。時代錯誤ではないか、とも思うのだ。何故ならあと十年もすればAIによる自動翻訳で言葉の壁はなくなるのではないかと思うから。
ここ数回取り上げている人工知能だが、その応用分野として有力な一つに自動翻訳がある。既に二〇一二年マイクロソフト社の研究者が中国の天津で行った講演では、その内容がAIによって同時通訳され、しかも講演者の肉声に近い音でスピーカーから流されて会場のどよめきを誘ったと言う。機械に人間の言葉を理解させる技術はもの凄い勢いで進歩している。
私のスマホにはグーグルが開発した音声認識装置が搭載されているが、「自民党の」と「自民と宇野」をちゃんと聞き分けてくれる。この二つは昔キーボードから入力した際に誤変換されたものだ。音声の抑揚までも判断材料にしている事が分かる。
専門家によれば現在は言葉の出現頻度を統計分析して他言語に置き換えているだけだが、もうすぐ意味を理解して翻訳できるようになるだろう、との事。あと十年もすれば小型翻訳機を携えて海外旅行が楽しめるようになるかも知れない。
文学作品の翻訳には人間ならではの微妙なニュアンスがあるが、学術論文なら翻訳は人工知能に任せておけばいい。東工大に入るような優秀な頭脳を英語で煩わせるような事をしたくない。かつてソ連が宇宙開発でトップを走っていた時、工学系の学生にロシア語熱が高まった事がある。東工大の目指すべきはMITやハーバードの学生が日本語を勉強したくなるような、そんな成果を出すことではないのか。
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