2016年6月28日火曜日

ブレグジット

スペインへ旅行した時のこと、日本からの直行便がないのでフランクフルトでの乗り換えになった。そこで入国手続きをし、ドイツからスペインは国内便扱い。EUが一つの国になろうとしているのは分かったが、パスポートにスペイン入国の記録が残らなかった事が残念だった。
国となると中央政府と地方との関係が問題になる。日本でも昨今地方への権限委譲を進めるべきだと地方分権論が盛んだ。アメリカは建国に当たって中央政府の力を制限し各州の独立性を確保する事に腐心した。通貨発行権を中央政府に独占させないなどもその表れでドル紙幣を見ればそれがニューヨークで印刷されたものかカリフォルニアで印刷されたものか分かる。各州は自ら独立した軍隊を持ち、税率も違う。富裕な州で独立運動が起きないのを見ると制度がうまく働いているのだろう。
中国もかつては斉、韓、魯、趙、楚、燕、秦など独立した国の集まりだったが、始皇帝という強烈なパワーが有無を言わさず一つの国にしてしまった。思えば始皇帝はナポレオンやヒトラーよりずっと卓越した人物だったのではないか。一口に度量衡の統一と言うが、その他各種制度の統一は並大抵の事ではなかったはずだ。
今回の英国のEU離脱は国における中央と地方の関係の最適化が問われているのだと思う。新聞やテレビの論調はイギリスが右傾化し感傷的かつ利己的になって大国としての矜持をなくしたのではないかという傾向が多いようだが、中央の官僚主義への反発とも取れる。EUからは早速「イギリスは速やかに離脱すべし」という脅しともとれる声明が出されたそうだ。ソ連なら軍隊を派遣して分離独立派を蹴散らすのだろうが、EUはどのような知恵を出して中央と地方の理想的姿を描き出すのだろうか。

2016年6月21日火曜日

政治と金

舛添さんが退場して次の候補者選びが始まった。お金にクリーンな人を、政策のしっかりした人を、という声が強い。しかし思い起こせば舛添さんはお金にクリーンで政策も福祉をはじめしっかりした人として選ばれたはずだった。それが当選したとたん、お金にみみっちく公金を掠め取るような真似をしたり、公約の待機児童対策はどこ吹く風と美術館巡りに興じたり、選挙時のイメージが当てにならない事を実証した。他の政治家は違うと信じたいが。
ところでお金にクリーンだとはどういう事を言うのだろうか。政治資金を私的に流用するような泥棒まがいは論外として、決められた給与以外は受け取らない事か。米大統領候補のドナルド・トランプは自分がビジネスで稼いだお金だけを頼りにして、ロビー活動からお金を取らないとして人気があるようだ。彼はお金にクリーンな人なのだろうか。私利私欲の塊のように見えるが。私利私欲はクリーンさとは正反対だが、私利私欲のない人がいるのか。
一人だけ思いついた。インドのガンジーだ。彼は間違いなくお金にクリーンな政治家と言えるだろう。実際彼は死後に何の資産も残さなかった。だが彼はお金を必要としなかったとも言える。例えば履き潰した草履の替りが必要な時は必ず周りの誰かが無償でそれを提供しただろうし、何か食べたいと言えばそれも無償で提供され、どこかへ行きたいと言えば必ず誰かが無償で移動手段を提供しただろう。物理的には一銭も持たずとも、彼自身の信用が無限のお金みたいなものだった。
己の欲望に不道徳さがなく、大きな信用のある人ならともかく、凡俗な一般の政治家はいざという時のためにお金が欲しくてしようがないようだ。彼等にお金のクリーンさを求めるのはしばらく諦めた方がいいのではないか。

2016年6月14日火曜日

ふりがな

一週間ぶりに保護された大和君。その生存には様々な奇跡が重なったとの事だが、その中の小さな奇跡の一つに水道管の元栓があると思う。当時元栓は閉められていて、水道の蛇口をひねっても水は出ない状態だったらしい。だが大和君は元栓を開けて水を得た。その元栓をみると、バルブには左右の矢印が書いてありそれに添って「でる、とめる」の表記があった。もしこれが「開、閉」だったら。七歳の大和君はおそらくまだ漢字は知らない。もっともあの状況でなんとか水を得ようと試行錯誤の末、水を出すことには成功したのだろうが。
テレビのニュースでその映像を見て、娘の幼稚園の運動会を思い出した。運動場の片隅の水飲み場にはいくつかの水道の蛇口が並び、その中の一つに「使用禁止」の札がぶら下がっていた。そしてそこには「しようきんし」とふりがなが振ってあった。これを書いた人はおそらく謹厳実直で、でもちょっと機転に欠ける面があるのではないか。「しようきんし」という音の意味が分かる人なら間違いなく漢字も読めるはずで、漢字の読めない幼児のためなら「つかってはいけません」とふりがなすべきだった。
それを書いた人を笑えない人も多い。道路標識の作者達もその中の人。「国会正門前」のアルファベット表記は「Kokkaiseimon」とある。それを見て意味を汲める外国人が何人いるか。東京オリンピックを控えてこの表示は「The National Diet Main Gate」になるそうで、まずは良かった。
東京オリンピックに来た人が何人札幌まで足を伸ばすか知らないが、札幌の地下鉄もローマ字表記を考え直した方が良い。南北線を札幌から北へ行くと「北12条駅」とか「北18条駅」とかが奇妙なアクセントの日本語でアナウンスされる。あれも外人さんには分からないだろうなあ。

2016年6月7日火曜日

大和君

朝のワイドショーを見ていて、速報で「北海道の男子無事保護」のテロップが流れた時は自分の事のように嬉しかった。と同時にもし自分が当事者だったら何を思い何を感じたのだろうかという思いが頭をよぎった。
もし自分が父親だったら。この一週間何も手につかず、食事も眠りも満足に取れない状態だったに違いない。息子が無事に帰ってきたら、全財産いや自分の命を引き換えにしてもいいいと、神仏に祈る心持ちだったろう。そして息子が大きな怪我もなく無事帰ってきた。おそらく今後の生涯においてこれ程大きな喜びは二度と訪れないだろう。知らせを聞いた瞬間は全身から力が抜けてヘナヘナとその場に崩れ落ちたのではないか。
もし自分が大和君本人だったら。父親への思いはどんなものであったか。飢えと寒さに震えながら外にいる人に声を掛ければ恐らく暖かいねぐらと食事にありつける。しかしその時父親の怒りは解けているか。一週間近くも名乗り出ることをためらった心の背景には一体何があるのか。そして家族と再会して父親への気持ちはどう変わったのか。
私も小学校低学年の頃、母親の怒りを買って家から締め出された記憶がある。玄関の外に放り出され、扉の内側から鍵を掛けられた。頃合いを見計らって母は中に入れてくれたが、その時母への恨みの気持ちは全くなかった。
もし自分が祖父母だったら。大和君が内孫か外孫かによって感じ方や行動はかなり違ってくるだろう。もし内孫だったら父親に対して「何てことをしたんだ。」と怒りをぶちまけ、場合によっては暴力にも及ぶかも知れない。外孫なら婿殿への遠慮もあるからあからさまに感情を外には出せないだろうが。
想像をたくましくすれば小説のネタにもなりそうな、そんな事件だった。