2016年6月7日火曜日

大和君

朝のワイドショーを見ていて、速報で「北海道の男子無事保護」のテロップが流れた時は自分の事のように嬉しかった。と同時にもし自分が当事者だったら何を思い何を感じたのだろうかという思いが頭をよぎった。
もし自分が父親だったら。この一週間何も手につかず、食事も眠りも満足に取れない状態だったに違いない。息子が無事に帰ってきたら、全財産いや自分の命を引き換えにしてもいいいと、神仏に祈る心持ちだったろう。そして息子が大きな怪我もなく無事帰ってきた。おそらく今後の生涯においてこれ程大きな喜びは二度と訪れないだろう。知らせを聞いた瞬間は全身から力が抜けてヘナヘナとその場に崩れ落ちたのではないか。
もし自分が大和君本人だったら。父親への思いはどんなものであったか。飢えと寒さに震えながら外にいる人に声を掛ければ恐らく暖かいねぐらと食事にありつける。しかしその時父親の怒りは解けているか。一週間近くも名乗り出ることをためらった心の背景には一体何があるのか。そして家族と再会して父親への気持ちはどう変わったのか。
私も小学校低学年の頃、母親の怒りを買って家から締め出された記憶がある。玄関の外に放り出され、扉の内側から鍵を掛けられた。頃合いを見計らって母は中に入れてくれたが、その時母への恨みの気持ちは全くなかった。
もし自分が祖父母だったら。大和君が内孫か外孫かによって感じ方や行動はかなり違ってくるだろう。もし内孫だったら父親に対して「何てことをしたんだ。」と怒りをぶちまけ、場合によっては暴力にも及ぶかも知れない。外孫なら婿殿への遠慮もあるからあからさまに感情を外には出せないだろうが。
想像をたくましくすれば小説のネタにもなりそうな、そんな事件だった。

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