2016年6月21日火曜日

政治と金

舛添さんが退場して次の候補者選びが始まった。お金にクリーンな人を、政策のしっかりした人を、という声が強い。しかし思い起こせば舛添さんはお金にクリーンで政策も福祉をはじめしっかりした人として選ばれたはずだった。それが当選したとたん、お金にみみっちく公金を掠め取るような真似をしたり、公約の待機児童対策はどこ吹く風と美術館巡りに興じたり、選挙時のイメージが当てにならない事を実証した。他の政治家は違うと信じたいが。
ところでお金にクリーンだとはどういう事を言うのだろうか。政治資金を私的に流用するような泥棒まがいは論外として、決められた給与以外は受け取らない事か。米大統領候補のドナルド・トランプは自分がビジネスで稼いだお金だけを頼りにして、ロビー活動からお金を取らないとして人気があるようだ。彼はお金にクリーンな人なのだろうか。私利私欲の塊のように見えるが。私利私欲はクリーンさとは正反対だが、私利私欲のない人がいるのか。
一人だけ思いついた。インドのガンジーだ。彼は間違いなくお金にクリーンな政治家と言えるだろう。実際彼は死後に何の資産も残さなかった。だが彼はお金を必要としなかったとも言える。例えば履き潰した草履の替りが必要な時は必ず周りの誰かが無償でそれを提供しただろうし、何か食べたいと言えばそれも無償で提供され、どこかへ行きたいと言えば必ず誰かが無償で移動手段を提供しただろう。物理的には一銭も持たずとも、彼自身の信用が無限のお金みたいなものだった。
己の欲望に不道徳さがなく、大きな信用のある人ならともかく、凡俗な一般の政治家はいざという時のためにお金が欲しくてしようがないようだ。彼等にお金のクリーンさを求めるのはしばらく諦めた方がいいのではないか。

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