2016年7月5日火曜日

クリーンかクリアか

お金にクリーンな政治家を選ぼう、選挙のたびにそう言われる。お金にクリーンである事を有権者が求めていることを政治家も重々承知なのだろうが、何故かいつもその問題でつまづく人が出る。政治家がお金にクリーンである事は、運動神経の鈍い人が逆立ちして歩く事ほどに難しい事ではないだろうか。
山本周五郎が創作した人物に赤ひげという名医がいる。黒澤明の映画では三船敏郎がその役を演じた。彼は金持ちからは法外な治療費をふんだくり、貧しい人達の治療に役立てる。赤ひげはお金にクリーンな人ではない。そのやり方を加山雄三演じる若い弟子は批判的な眼差しで見ている。お金にクリーンな医者なら治療費を診療科目ごとに明記し、その言わば定価表に従って請求するだろう。
医者の価値はお金にクリーンかどうかより病気を治す能力があるかどうかにある。同様に政治家の価値もお金にクリーンかどうかより、的確な判断の元、関係者の利害を調整して何か事を成し遂げる能力があるかどうかで測るべきではないか。田中角栄はロッキードからお金を貰った事を非難される前に、ロッキードを選んだ判断が適切だったかどうかを問われるべきだ。もしあの時点でグラマンの方が性能や価格の面で優れていたのにも拘わらずロッキードを推薦したのなら、その判断ミスをこそ非難されるべきだろう。賄賂はそれが不当な便宜を呼び込むから悪い。
政治と金の関係はクリーンであるよりクリアである事を求めたらどうか。スポーツ選手がスポンサーの名前の入ったユニフォームでプレーするように、政治家も誰からお金を貰っているか背広に縫い付けて、あるいは選挙の際に襷に明記したらいい。そうすればお金を貰った人に対して不当な便宜を図る事もできなくなるだろうから。

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