2016年10月4日火曜日

同一労働同一賃金

「同一労働同一賃金」の文字を報道で見るたび若干の違和感を覚える。元々この言葉は男女差別の撤廃を目指して発せられたものだった。同じ労働をして同じ結果を出すのに女性だというだけの理由で賃金が低く抑えられているのはおかしい、というのは誠に全うな意見だ。だが昨今の使われ方を見ると正規・非正規の格差を問題にする場面が多い。これは如何なものか。経営工学的見地からの愚見を述べてみたい。
そもそも「非正規」とは何か。正規社員と外見上の業務形態が特別違う訳ではないのに不当に不利な条件で採用されている事だとすると、それは理論上あってはならない事で議論の俎上に上らない。ここでは業務量に応じて正規社員の能力を補完するために期間限定で採用される人を指すことにしよう。
経営工学の一つのテーマに能力設定がある。例えば生産設備の能力をどう設定するか。需要の大きさに応じて決めるわけだが、問題は変動する需要への対応である。設備能力が小さすぎれば注文に応じきれず、需要のピークに合わせれば多くの場合設備が遊んでしまう。通常はピークの八割程度の能力を用意し最盛期には外部の支援を仰ぐ事にする。そして外部委託する場合のコストは内作するより高いのが普通だ。
さて、人間の神聖なる労働力を生産機械設備と比較するなんてけしからん、とお叱りを受けるかも知れないが、非正規労働は上記の需要のピーク対応と考えるのが至当ではないか。だとすれば非正規労働の時間単価は正規労働の時間単価より高くて然るべきだというのが私の意見なのである。

そもそも働き方の選択肢を提示するに当たり、一方は安定しているが単価は安い、一方は単価は高いが不安定、というトレードオフがない限り検討の余地もないではないか。

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