2016年12月6日火曜日

政策とテニス

選挙期間中のトランプ氏の発言はまさに言いたい放題だった。誰だって時には思う存分言いたい事を言ってみたい。それをしないのはそんな事をしたら品位を疑われてしまうからだ。本能そのままに欲望をあからさまにしないことで人間の文化が成り立っている。
テニスをしていて同じ事を感じる時がある。思い切り力任せにボールを叩いてみたいが打ったボールは相手コートに入れないと自分の失点になるからそれが出来ない。コートの大きさの制約は言わば自制と実現可能性の制約だ。
テニスにはもう一つ条件がある。それはボールがネットを越さねばならないという制約だ。ネットの高さは十分な魅力があるかどうかの指標に例えられる。共和党の予備選の時から他の候補はテニスで言えばネットを越えないボールを打っていたようなものだったかも知れない。既存の観念に縛られて思い切った球を打てず、ボールがネットを越えなかったのだ。
ネットを越える程度に強く打たないといけないが、相手コートをオーバーする程強すぎてはいけない。政策も同じで十分に魅力的でありながらかつ実現可能なものでなければならない。
選挙期間中タブーを破ることで喝采を浴びたトランプ氏も選挙に勝利した後は発言が穏健なものに変わった。マスコミは「トランプ氏は衝撃度の強い政策を打ち出すことで支持者を熱狂させ、マスコミの耳目を集める戦略をとったが、今後は実現可能性を踏まえ、現実路線に軌道修正する事例が増えそうだ。」と言う。
トランプ氏の打った球はどうなるだろうか。強烈なトップスピンがかかって相手コートにすとんと落ちるのだろうか。それともネットの手前で失速してネットに掛け民衆の失望を買う事になるのだろうか。

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