2017年3月14日火曜日

石原さん

五百回目の節目をこんな人の話題で汚したくはなかったが、ちょうど時期なので。
築地市場の豊洲移転問題に関する記者会見はあれならやらない方が良かったと思える内容だった。自身を侍に例えた石原氏だったがあれじゃ侍が怒るだろう。侍を侍たらしめているのは責任感と当事者意識だと思う。たとえ部下がやったことでもその責任は上司が取る、それが侍というものだ。ましてや自分の判子が押してある。当該土地が汚染されていることが分かっていて、その処理が問題の焦点なのに、瑕疵担保責任の所在を確認しない責任者があるのだろうか。部下が中心となって交渉を進めるのはいいが、いざ契約となれば「汚染処理の責任はどうなっているんだ」と確認するのが当然だろう。それを怠ったのならあまりに当事者意識が欠如していたと言わざるを得ない。そもそも万事に威張り散らしていた人だから、彼の意向を無視した契約がなされた筈もないと思うが。
石原さんに関する一番古い記憶は昭和四十三年の参議院議員選挙の全国区で彼がトップ当選した時のものだ。選挙後タレント議員がテーマとなったテレビ番組で「タレント議員と言っても凡庸な人に作家やシナリオ・ライターが出来るわけないですよね」と秋波を送った青島幸男に「さあ、どうですか。大企業から全面的な支援を受け(当時資生堂が石原氏の応援をしていたと言われた)、それでも足りずに弟の応援まで借りて当選した人に何ができるんですかね」と一蹴されて青ざめた石原さんがいた。

最近彼が書いた「天才」は田中角栄の人生を一人称で書いた小説だが、角さんと石原さんではモノが違う。角さんの心の奥を石原さんに分かる筈がない。冥土でこの本を読んだ角さんが「俺はそんな小物じゃないよ」と憤慨する様子が眼に浮かぶ。

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