2017年3月28日火曜日

説明責任

国会中継を録画してまで見たいと思った事は今までなかった。森友学園問題での国会の証人喚問がそれだ。生放送されることが分かっていれば東京都の百条委員会も録画したかった。
普通は「説明責任を果たせ」と言われるが、私にすれば「説明する権利を行使すべし」が正しいと思う。何か不祥事が発生し自分が疑われる立場になったとする。自らの身の潔白を明らかにしたいのなら、それを証明する場を与えられることは願ってもないことだ。過去冤罪に泣いた人達は言いたいことを言う場もなく、マスコミに駆け込んでも取り上げて貰えず、切歯扼腕するしかなかった。だから参考人招致や証人喚問に呼ばれることは又とないチャンスだと本来なら思うべきなのだ。
ただし、ここで大事なことは当人が本当に潔白なのかどうかである。なにか身にやましいところがあるから、黒に近い灰色を白く見せるためにあれこれ足掻く事になってしまう。その足掻きが「説明責任」という言葉の本質なのだ。「説明責任」とは黒いものを白く見せてみろ、という事に他ならない。それを「果たせ」とは、足掻き方が上手だったら無罪放免にしてやるとでも言うのか。
黒いものを白く見せるための手段に「居直り」がある事を百条委員会で知った。国語辞典には「追い詰められて急に威圧的な態度に変わる」と説明があるがまさにそれが出た。副知事としての責任を問われて「何が責任ですか。あの時は話をまとめたと賞賛されたんですよ」と急に威圧的になったり、知事としての確認義務を怠った事を指摘されて「だからどうだと言うんですか」と怒鳴ったり、広辞苑に載っている「答えに詰まって居直る」という用例そのままだった。ニュースを見ている限りすぐさま二の矢が放てなかったようなのは質問者も情けないものだ。

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